裁判例>最判昭和61年10月3日民集40巻6号1068頁

最判昭和61年10月3日民集40巻6号1068頁

主文

 本件上告を棄却する。

 上告費用は上告人らの負担とする。

理由

 上告代理人村林隆一の上告理由第1点について

 所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひっきょう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。

 同第2点及び第3点について

一 原審の適法に確定した事実関係は、おおむね、次のとおりである。

 1 上告人ミッドランド・ロス・コーポレーションは、「動桁炉」という名称の本件特許発明につき、1968年(昭和43年)2月26日米国においてした特許出願を基礎とするパリ条約による優先権を主張して(優先権主張の基礎たる米国における特許出願の出願日を、以下「優先権主張日」という。)、同年8月26日特許出願をし、昭和46年10月12日の出願公告後、昭和55年5月30日特許権の設定登録を受けたものである(登録番号999931号)。本件特許発明の願書に添附した明細書(補正後のもの)の特許請求の範囲の記載は、次のとおりである。

 「工作物を交互に支持するための少なくとも二組のコンベアレールと、該コンベアレールのうちの少なくとも一組を他方のコンベアレールに対して相対的に移動させるためのキヤリッジとを包含し、前記コンベアレールの各々が複数個の工作物支持パッドを有し、さらに前記キャリッジの下側に沿つて延在する一対の平行桁と、該平行桁の下側に配設され該平行桁及び前記キャリッジを支持しかつ鉛直方向に往復動させるための少なくとも四個の回転偏心輪と、該回転偏心輪による鉛直運動より独立して前記キヤリツジを水平方向に往復運動させるための水平駆動装置とを包含し、前記偏心輪のそれそれが前記平行桁の下側の個所を支持するための回転自在な外周環を有していることを特徴とする炉の耐火室を通して工作物を搬送する動桁型コンベア。」

 そして、本件特許発明の奏する作用効果は、次の(1)ないし(6)のとおりである。

 (1) 一度に複数の大きな鋼のスラブ、ブルー厶又はビレットを加熱して運搬し、それによって工作物の一つ一つを全体にわたって均一な温度に加熱することができる。

 (2) 細長い工作物を、たとえそれが歪んでいても、炉の中を有効に運ぶことができる。

 (3) 別々にも同時にも、垂直方向及び水平方向に往復運動をさせることができる。

 (4) 炉内の熱に対しスラブの全表面積の有効な露呈が可能である。

 (5) スラブ・サポートとの接触によって起こされる加熱されたスラブ表面傷やチル点を実際上除去し、縮小することができる。

 (6) 150万ポンドの総負荷を能率的に処理し、かつ、操作・整備の容易である単純で堅牢な装置を提供するものである。

 上告人中外炉工業株式会社(以下「上告人中外炉」という。)は、本件特許権につき昭和56年3月6日専用実施権の設定を受け、同年8月21日その登録を受けたものである。

 2 被上告会社は、昭和41年5月20日頃、富士製鉄株式会社(以下「富士製鉄」という。)から、同社広畑製鉄所用の加熱炉の引合い(入札への参加の要請とこれに伴う見積りの依頼)を受け、当初は、処理能力毎時100トンの在来のプッシャー式加熱炉の見積設計を行ったが、同年7月からは、富士製鉄の意向を受けて、上下駆動装置を電動式とする処理能力毎時120トンのウォーキングビーム式加熱炉の見積設計作業に入り、同年8月10日頃、富士製鉄から右電動式のウォーキングビーム式加熱炉の引合いを受けたため、全力を注いで完成させ、同月31日頃、富士製鉄に対し、その見積仕様書(甲第6号証の49)及び設計図(同号証の119ないし121)を提出した。

 3 その後、被上告会社では、右電動式のウォーキングビーム式加熱炉のウォーキングビーム機構等の説明資料を作成して広畑製鉄所に説明のために赴いたり、受注に備えて、右電動式の上下駆動装置に用いられる偏心カムを含む駆動部分の図面を株式会社大同機械製作所に示して見積りを依頼するなど下請会社に各装置部分の見積りを依頼したりしたが、同年9月20日、富士製鉄から、上下駆動装置を電動式から油圧式に変更することのほか、数点につき再検討の要請を受けたので、同月27日、油圧式のウォーキングビーム式加熱炉の設計図等を富士製鉄に提出した。

 4 結局、同年11月19日頃には、富士製鉄から受注できないことが判明したが、被上告会社は、富士製鉄から引合いを受けた際に作成した見積仕様書等を整備保存したうえ、その後も毎年、製鉄会社等からのウォーキングビーム式加熱炉の引合いに応じて入札に参加し、昭和42年及び43年に油圧式(上下駆動装置についていう。以下同様。)各2件、昭和44年に電動式2件、油圧式4件、昭和45年に電動式3件、油圧式4件、昭和46年に油圧式2件の各見積設計を行い、昭和42年及び44年に油圧式各1件、昭和45年に電動式2件、油圧式1件、昭和48年に油圧式2件、昭和51年及び52年に電動式各1件の受注に成功した。

 なお、ウォーキングビーム式加熱炉において、上下駆動装置を偏心カムを用いる電動式とするか油圧式とするかは、ユーザーの好みによるところが大きい。

 5 被上告会社が昭和41年8月31日頃に前記見積仕様書等を富士製鉄に提出して販売しようとした電動式のウォーキングビーム式加熱炉は、第一審判決添付第二目録記載のA製品であり、被上告会社は、前示のとおりその受注に成功しなかつたものの、もし富士製鉄から受注した場合には、右見積仕様書等を基に同社広畑製鉄所との間で細部の打合せを行つて最終的な仕様を確定し、それに伴い最終製作図(工作設計図)を作成して、それに従つて加熱炉を築造する予定であつた。

 6 被上告会社は、昭和46年5月に新日本製鉄株式会社(以下「新日鉄」という。)釜石製鉄所に納品して以来現在まで、第一審判決添付第一目録記載のウォーキングビーム式加熱炉すなわちイ号製品を製造販売しているところ、イ号製品は、その基本的構造においてA製品と同一であって、A製品ともども本件特許発明の技術的範囲に属するものであるが、ただ、ウォーキングビームを駆動する偏心輪と偏心軸の取付構造、偏心輪のべアリング構造、ウォーキングビーム支持平行桁の横振れ防止構造及び偏心軸駆動方法の四点において、同第一目録二の1ないし4記載の具体的構造を有するものであり、この点に関して同第二目録の1ないし4記載の具体的構造を有するA製品と異なるものである。

二 ところで、発明とは、自然法則を利用した技術的思想の創作であり(特許法2条1項)、一定の技術的課題(目的)の設定、その課題を解決するための技術的手段の採用及びその技術的手段により所期の目的を達成しうるという効果の確認という段階を経て完成されるものであるが、発明が完成したというためには、その技術的手段が、当該技術分野における通常の知識を有する者が反復実施して目的とする効果を挙げることができる程度にまで具体的・客観的なものとして構成されていることを要し、またこれをもつて足りるものと解するのが相当である(最高裁昭和49年(行ツ)第107号同52年10月13日第一小法廷判決・民集31巻6号805頁参照)。したがつて、物の発明については、その物が現実に製造されあるいはその物を製造するための最終的な製作図面が作成されていることまでは必ずしも必要でなく、その物の具体的構成が設計図等によつて示され、当該技術分野における通常の知識を有する者がこれに基づいて最終的な製作図面を作成しその物を製造することが可能な状態になつていれば、発明としては完成しているというべきである。

 また、同法79条にいう発明の実施である「事業の準備」とは、特許出願に係る発明の内容を知らないでこれと同じ内容の発明をした者又はこの者から知得した者が、その発明につき、いまだ事業の実施の段階には至らないものの、即時実施の意図を有しており、かつ、その即時実施の意図が客観的に認識される態様、程度において表明されていることを意味すると解するのが相当である。

三 本件について検討する。

 1 本件特許発明の前示特許請求の範囲の記載及び作用効果によれば、本件特許発明は、要するに、(一)炉の耐火室を通して工作物を搬送する動桁型コンベアにおいて、一度に複数のスラブ等の大形の鋼片を、表面に傷をつけることなく、その全表面積を炉内に露呈させて全体にわたつて均一に加熱することができ、しかもその鋼片に歪みがあっても搬送が可能であり、併せて垂直方向及び水平方向にも別々にも同時にも往復運動が可能であるような、単純堅牢な構造のものを提供することを課題(目的)とし、(二)その課題解決のために、ウォーキングビー厶機構を採用し、固定ビームと移動ビーム(二組のコンベアレール)には複数個の工作物支持パッドを備え、移動ビーム(より正確には、移動ビームを移動させるためのキャリッジと更にその下側に沿つて延在する平行桁)を上下に往復運動させるための少なくとも四個の回転偏心輪(偏心カム)と、この上下運動とは独立して水平方向に往復運動させるための水平駆動装置とを設け、右各回転偏心輪には右平行桁の下側を支持するための回転自在な外周環を設けるという構成を採つたものであり、これによつて前記所期の目的を達成するという作用効果を奏するものである、ということができる。

 一方、A製品について、被上告会社が昭和41年8月31日頃富士製鉄に提出した前記見積仕様書に、(1)ウォーキングビーム機構を採用すること、(2)移動ビームの上下運動は電動式とし、上下運動は偏心板の回転によつて行い、鋼片は、一サイクルの半分の間固定ビーム又は移動ビーム上にあり、再加熱と温度均一化が行われること、(3)したがつて、鋼片が水平ストロークによつて進まない場合でも、移動ビームの上下方向に対する駆動は連続して動いていること、(4)移動ビームの水平運動は一本の油圧シリンダにて行うこと、(5)各ビームの上には鋼片受けレールを設けること、(6)上下駆動装置について、架台は八点で支持し、二台の電動機により減速機を介し歯車減速機構を経て偏心カム(偏心板)を駆動し上下運動を行わせること、(7)偏心カムの外周には、リング状円形ローラを設け、滑動可能な構造であることが記載されていることに照らすと、当該技術分野における通常の知識を有する者であれば、右見積仕様書等から、当時被上告会社が解決せんとしていた技術的課題とその技術的課題を解決すべき具体的製品の基本的核心部分の構造がいかなるものであるかを読み取ることができるものであるとした原審の認定は、正当として是認することができる。そして、現に右見積仕様書等とその基礎となった計算書、図面を合わせれば、被上告会社が当時製造販売しようとしていたA製品の製造が可能であることは、原審の適法に確定するところであるから、右見積仕様書等には、A製品における技術的課題の解決のために採用された技術的手段が、当該技術分野における通常の知識を有する者が反復実施して目的とする効果を挙げることができる程度にまで具体的・客観的なものとして示されているということができ、被上告会社は、右見積仕様書等を富士製鉄に提出した頃には、既にA製品に係る発明を完成していたものと解するのが相当である。

 もっとも、現実にA製品を製造するためには、更に相当多数の図面等を作成しなければならず、そのためにかなりの日時を要するとの事実も、原審の適法に確定するところであるが、右事実は、前記判示したところに照らし、右判断の妨げとなるものではない。

 2 また、前記事実関係によれば、被上告会社は、富士製鉄からの広畑製鉄所用加熱炉の引合いに応じ、当初プッシャー式加熱炉の見積設計を行い、次いで電動式のウォーキングビーム式加熱炉の見積設計を行つてA製品に係る発明を完成させたうえ、本件特許発明の優先権主張日前である昭和41年8月31日頃、富士製鉄に対しA製品に関する前記見積仕様書及び設計図を提出し、富士製鉄から受注することができなかったため最終製作図は作成していなかったものの、同社から受注すれば広畑製鉄所との間で細部の打合せを行って最終製作図を作成し、それに従って加熱炉を築造する予定であって、受注に備え各装置部分について下請会社に見積りを依頼したりしていたのであり、その後も毎年ウォーキングビーム式加熱炉の入札に参加したというのである。

 そして、ウォーキングビーム式加熱炉は、引合いから受注、納品に至るまで相当の期間を要し、しかも大量生産品ではなく個別的注文を得て初めて生産にとりかかるものであって、予め部品等を買い備えるものではないことも、原番の適法に確定するところであり、かかる工業用加熱炉の特殊事情も併せ考えると、被上告会社はA製品に係る発明につき即時実施の意図を有していたというべきであり、かつ、その即時実施の意図は、富士製鉄に対する前記見積仕様書等の提出という行為により客観的に認識されうる態様、程度において表明されていたものというべきである。したがって、被上告会社は、本件特許発明の優先権主張日において、A製品に係る発明につき現に実施の事業の準備をしていたものと解するのが相当である。

 3 以上と同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は、右と異なる見解に立ち、又は原審の認定にそわない事実に基づき原判決の違法をいうものであって、採用することができない。

 同第4点の冒頭部分及び(一)ないし(三)について

 特許法79条所定のいわゆる先使用権者は、「その実施又は準備をしている発明及び事業の目的の範囲内において」特許権につき通常実施権を有するものとされるが、ここにいう「実施又は準備をしている発明の範囲」とは、特許発明の特許出願の際(優先権主張日)に先使用権者が現に日本国内において実施又は準備をしていた実施形式に限定されるものではなく、その実施形式に具現されている技術的思想すなわち発明の範囲をいうものであり、したがって、先使用権の効力は、特許出願の際(優先権主張日)に先使用権者が現に実施又は準備をしていた実施形式だけでなく、これに具現された発明と同一性を失わない範囲内において変更した実施形式にも及ぶものと解するのが相当である。けだし、先使用権制度の趣旨が、主として特許権者と先使用権者との公平を図ることにあることに照らせば、特許出願の際(優先権主張日)に先使用権者が現に実施又は準備をしていた実施形式以外に変更することを一切認めないのは、先使用権者にとって酷であって、相当ではなく、先使用権者が自己のものとして支配していた発明の範囲において先使用権を認めることが、同条の文理にもそうからである。そして、その実施形式に具現された発明が特許発明の一部にしか相当しないときは、先使用権の効力は当該特許発明の当該一部にしか及ばないのはもちろんであるが、右発明の範囲が特許発明の範囲と一致するときは、先使用権の効力は当該特許発明の全範囲に及ぶものというべきである。

 これを本件についてみるに、A製品は前記四つの点において第一審判決添付第二目録の1ないし4記載の具体的構造を有するものではあるが、原審の適法に確定した本件特許発明の特許出願当時(優先権主張日当時)の技術水準、その他前示のような本件事実関係のもとにおいては、A製品に具現されている発明は、右のような細部の具体的構造に格別の技術的意義を見出したものではなく、本件特許発明と同じより抽象的な技術的思想をその内容としているものとして、その範囲は本件特許発明の範囲と一致するというべきであるから、被上告会社がA製品に係る発明の実施である事業の準備をしていたことに基づく先使用権の効力は、本件特許発明の全範囲に及ぶものであり、したがってイ号製品にも及ぶものであるとした原審の判断は、正当というべきである。

 論旨は、右と異なる見解に立つて原判決を論難するものであって、採用することができない。

 同第四点の(四)について

 所論は、要するに、被上告会社が本件特許出願についての出願公告より前の昭和46年5月に新日鉄釜石製鉄所に納品したイ号製品において、A製品における前記四点の具体的構造を変更したことについて、本件特許出願の優先権主張の基礎たる米国における特許出願の明細書が昭和45年1月14日にわが国特許庁資料館に受け入れられ、また、被上告会社は同年3月から5月の間に東海製鉄株式会社(現新日鉄名古屋製鉄所)の工場で上告人中外炉の製品を見学したものであって、被上告会社は右明細書ないし上告人中外炉の製品を見たうえで右のような具体的構造の変更をしたものであるとの事実を前提として、先使用権者は、当該特許発明の特許出願の際(優先権主張日)に実施又は準備をしていた実施形式を変更するに当たり、当該特許発明の特許公報(明細書)や実施品を知見したうえでその実施例そのものに変更した製品については、先使用権を主張することは許されないというのであるが、右所論の前提事実は、原審の認定しないところである。なお、右のイ号製品を被上告会社に発注するに当たり、富士製鉄(現新日鉄)釜石製鉄所の従業員である須藤宏一が、右東海製鉄株式会社の工場で上告人中外炉の製品を見学し、参考にしたことは、原審の適法に確定するところであるが、右の事実のみから、被上告会社が上告人中外炉の製品を見たうえでA製品からイ号製品に実施形式を変更したとの事実を推認すべきものということはできない。

 論旨は、原審の認定しない事実を前提とする点において既に失当であり、所論の当否について判断するまでもなく、採用することができない。

 よって、民訴法401条、95条、89条、93条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 牧 圭次 裁判官 藤島 昭 裁判官 香川保一 裁判官 林 藤之輔)