裁判例>最判平成15年4月22日民集57巻4号477頁

最判平成15年4月22日民集57巻4号477頁

主文

 1 本件上告を棄却する。

 2 第1審判決主文第1項を次のとおり更正する。
 「一 被告は、原告に対し、228万9000円及びこれに対する平成7年3月23日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。原告のその余の請求を棄却する。」

 3 上告費用は上告人の負担とする。

理由

第1 事案の概要

1 本件は、上告人の従業員であった被上告人が、上告人に対し、職務発明について特許を受ける権利を上告人に承継させたことにつき、特許法35条3項の規定に基づき、相当の対価の支払を求めた事案である。

2 原審の適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。

 (1) 上告人は、光学機械の製造販売等を業とする会社である。被上告人は、昭和44年5月に上告人に入社し、同48年から同53年ころまでの間、上告人の研究開発部に在籍して、ビデオディスク装置の研究開発に従事していた。被上告人は、平成6年11月に上告人を退職した。

 (2)被上告人は、昭和52年に、発明の名称を「ピックアップ装置」とする第1審判決別紙特許目録記載3の発明(以下「本件発明」という。)をした。本件発明は、上告人の業務範囲に属し、かつ、被上告人の職務に属するものであって、特許法35条1項所定の職務発明に当たる。

 (3) 上告人においては、その従業者がした職務発明に関して、「発明考案取扱規定」(以下「上告人規定」という。)が定められている。上告人規定には、従業者の職務発明について特許を受ける権利が上告人に承継されること、上告人は、職務発明をした従業者に対して工業所有権収入取得時報償等の報償を行うこと、上告人が従業者の職務発明につき第三者から工業所有権収入を継続的に受領した場合には、受領開始日より2年間を対象として、上限額を100万円とする一回限りの工業所有権収入取得時報償を行うことなどの定めがある。

 (4) 上告人は、上告人規定に基づいて、本件発明について特許を受ける権利を被上告人から承継し、これにつき特許出願をして、特許権を取得した。上告人は、この特許権を含めたピックアップ装置に関する多数の特許権及び実用新案権につき、平成2年10月以降、ピックアップ装置の製造会社数社と実施許諾契約を締結して、その後継続的に実施料を受領した。

 (5) 被上告人は、本件発明について特許を受ける権利を上告人に承継させたことに関して、上告人規定に基づき、昭和53年1月5日に出願補償として3000円、平成元年3月14日に登録補償として8000円、同4年10月1日に工業所有権収入取得時報償として20万円を上告人から受領した。

3 原審は、以上の事実関係の下で、次のとおり判断し、本件における相当の対価の額であると認定した250万円から被上告人が既に受領した工業所有権収入取得時報償等の金額を差し引いた228万9000円の支払を求める限度で、被上告人の請求を認容すべきものとした。

 (1) 職務発明について使用者等が定めた勤務規則その他の定めにより算出された対価の額が、特許法35条3項、四項所定の相当の対価に満たない場合には、従業者等は、上記定めに基づき使用者等が算出した額に拘束されることなく、上記各項による相当の対価を請求することができる。

 (2) 被上告人に対し工業所有権収入取得時報償が支払われた平成4年10月1日までは、相当の対価の算定の基礎となる工業所有権収入が明らかではなく、被上告人が受領し得る報償金の額が不確定であったから、被上告人が相当の対価の支払を受ける権利を行使することを期待し得ない状況にあった。したがって、同日までは消滅時効が進行しないから、被上告人が本件訴訟を提起した同7年3月3日の時点において、被上告人の上記権利の消滅時効は完成していない。

第2 上告代理人大場正成、同鈴木修、同大平茂の上告受理申立て理由第1について

1 特許法35条は、職務発明について特許を受ける権利が当該発明をした従業者等に原始的に帰属することを前提に(同法29条1項参照)、職務発明について特許を受ける権利及び特許権(以下「特許を受ける権利等」という。)の帰属及びその利用に関して、使用者等と従業者等のそれぞれの利益を保護するとともに、両者間の利害を調整することを図った規定である。すなわち、(1)使用者等が従業者等の職務発明に関する特許権について通常実施権を有すること(同法35条1項)、(2)従業者等がした発明のうち職務発明以外のものについては、あらかじめ使用者等に特許を受ける権利等を承継させることを定めた条項が無効とされること(同条2項)、その反対解釈として、職務発明については、そのような条項が有効とされること、(3)従業者等は、職務発明について使用者等に特許を受ける権利等を承継させたときは、相当の対価の支払を受ける権利を有すること(同条3項)、(4)その対価の額は、その発明により使用者等が受けるべき利益の額及びその発明につき使用者等が貢献した程度を考慮して定めなければならないこと(同条4項)などを規定している。これによれば、使用者等は、職務発明について特許を受ける権利等を使用者等に承継させる意思を従業者等が有しているか否かにかかわりなく、使用者等があらかじめ定める勤務規則その他の定め(以下「勤務規則等」という。)において、特許を受ける権利等が使用者等に承継される旨の条項を設けておくことができるのであり、また、その承継について対価を支払う旨及び対価の額、支払時期等を定めることも妨げられることがないということができる。しかし、いまだ職務発明がされておらず、承継されるべき特許を受ける権利等の内容や価値が具体化する前に、あらかじめ対価の額を確定的に定めることができないことは明らかであって、上述した同条の趣旨及び規定内容に照らしても、これが許容されていると解することはできない。換言すると、勤務規則等に定められた対価は、これが同条3項、4項所定の相当の対価の一部に当たると解し得ることは格別、それが直ちに相当の対価の全部に当たるとみることはできないのであり、その対価の額が同条4項の趣旨・内容に合致して初めて同条3項、4項所定の相当の対価に当たると解することができるのである。したがって、勤務規則等により職務発明について特許を受ける権利等を使用者等に承継させた従業者等は、当該勤務規則等に、使用者等が従業者等に対して支払うべき対価に関する条項がある場合においても、これによる対価の額が同条四項の規定に従って定められる対価の額に満たないときは、同条3項の規定に基づき、その不足する額に相当する対価の支払を求めることができると解するのが相当である。

2 本件においては、前記第1の2のとおり、上告人規定に、上告人の従業者がした職務発明について特許を受ける権利が上告人に承継されること、上告人が工業所有権収入を受領した場合には工業所有権収入取得時報償を行うものとするが、その上限額は100万円とすることなどが規定されていたのであり、また、被上告人は、上告人規定に従って、本件発明につき報償金を受領したというのである。そうすると、特許法35条3項、4項所定の相当の対価の額が上告人規定による報償金の額を上回るときは、上告人はこの点を主張して、不足額を請求することができるというべきである。

3 原審の上記第1の3(1)の判断は、以上の趣旨をいうものとして、是認することができる。論旨は、独自の見解に立って原判決を非難するものにすぎず、採用することができない。

第3 同第3について

1 職務発明について特許を受ける権利等を使用者等に承継させる旨を定めた勤務規則等がある場合においては、従業者等は、当該勤務規則等により、特許を受ける権利等を使用者等に承継させたときに、相当の対価の支払を受ける権利を取得する(特許法35条3項)。対価の額については、同条4項の規定があるので、勤務規則等による額が同項により算定される額に満たないときは同項により算定される額に修正されるのであるが、対価の支払時期が定められているときは、勤務規則等の定めによる支払時期が到来するまでの間は、相当の対価の支払を受ける権利の行使につき法律上の障害があるものとして、その支払を求めることができないというべきである。そうすると、勤務規則等に、使用者等が従業者等に対して支払うべき対価の支払時期に関する条項がある場合には、その支払時期が相当の対価の支払を受ける権利の消滅時効の起算点となると解するのが相当である。

2 本件においては、上告人規定に、上告人が工業所有権収入を第三者から継続的に受領した場合には、受領開始日より2年間を対象として、一回限りの報償を行う旨が定められていたこと、上告人が、平成2年10月以降、本件発明について実施料を受領したことは、前記第1の2のとおりである。そうすると、上告人規定に従って上記報償の行われるべき時が本件における相当の対価の支払を受ける権利の消滅時効の起算点となるから、被上告人が本件訴訟を提起した同7年3月3日までに、被上告人の権利につき消滅時効期間が経過していないことは明らかである。

3 所論の点に関する原審の上記第1の3(2)の判断は、結論において正当であり、原判決に所論の違法はない。論旨は採用することができない。

第4 なお、第1審判決主文第1項に明白な誤りがあることがその理由に照らして明らかであるから、民訴法257条1項により主文のとおり更正する。

 よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・上田豊三、裁判官・金谷利廣、裁判官・濱田邦夫、裁判官・藤田宙靖)