裁判例>東京地判平成26年12月24日判時2258号106頁
東京地判平成26年12月24日判時2258号106頁
主文
- 1 被告Y1は、平成29年9月3日まで、別紙物件目録1記載のマキサカルシトール原薬を輸入し、又は譲渡してはならない。
- 2(1) 被告Y2は、平成29年9月3日まで、別紙物件目録2記載(1)のマキサカルシトール製剤を譲渡し、又は譲渡の申出をしてはならない。
- (2) 被告Y3は、平成29年9月3日まで、別紙物件目録2記載(2)のマキサカルシトール製剤を譲渡し、又は譲渡の申出をしてはならない。
- (3) 被告Y4は、平成29年9月3日まで、別紙物件目録2記載(3)のマキサカルシトール製剤を譲渡し、又は譲渡の申出をしてはならない。
- 3 被告Y1は、別紙物件目録1記載のマキサカルシトール原薬を廃棄せよ。
- 4(1) 被告Y2は、別紙物件目録2記載(1)のマキサカルシトール製剤を廃棄せよ。
- (2) 被告Y3は、別紙物件目録2記載(2)のマキサカルシトール製剤を廃棄せよ。
- (3) 被告Y4は、別紙物件目録2記載(3)のマキサカルシトール製剤を廃棄せよ。
- 5 訴訟費用は被告らの負担とする。
- ア 特許番号 特許第3310301号
- イ 発明の名称 ビタミンDおよびステロイド誘導体の合成用中間体およびその製造方法
- ウ 出願日 平成9年9月3日
- エ 出願番号 特願平10-512795
- オ 優先日 平成8年9月3日(米国60/025、361による優先権主張。以下「本件優先日」という。)
- カ 登録日 平成14年5月24日
- キ 存続期間の延長 本件特許権につき、平成21年2月24日に存続期間の延長登録の出願が行われ、平成22年3月31日、特許法67条2項に基づき、以下の内容の存続期間延長登録が行われた(なお、原告は、延長登録がされる前の存続期間の末日までの差止めを求めているので、本件では、上記延長登録の効果は問題とならない。)。
- (ア) 特許権の存続期間の延長理由となる処分
- 薬事法(平成25年法律第84号による題名変更前のもの)14条9項に規定する医薬品に係る同項の承認
- (イ) 処分を特定する番号
- 承認番号 21800AMX10386000
- (ウ) 処分の対象となった物
- マキサカルシトール(一般的名称)
- (エ) 処分の対象となった物について特定された用途
- 掌蹠膿疱症
- (オ) 延長の期間
- 5年
- (1) 均等の第1要件(争点1)
- (2) 均等の第2要件(争点2)
- (3) 均等の第3要件(争点3)
- (4) 均等の第4要件(争点4)
- (5) 均等の第5要件(争点5)
- (6) 無効理由1(乙9を主引例とする進歩性欠如)(争点6)
- (7) 無効理由2(乙4の2を主引例とする進歩性欠如)(争点7)
- (8) 無効理由4(乙14を主引例とする進歩性欠如)(争点8)
- (9) 無効理由5(実施可能要件違反)(争点9)
- (10) 無効理由6(サポート要件違反)(争点10)
- (11) 差止めの必要性(争点11)
事実及び理由
第1 請求
主文第1項ないし第4項と同旨
第2 事案の概要
1 本件は、「ビタミンDおよびステロイド誘導体の合成用中間体およびその製造方法」という名称の発明に関する特許第3310301号の特許権(以下「本件特許権」といい、同特許権に係る特許を「本件特許」という。)の共有者の1名である原告が、被告Y1の輸入販売に係る別紙物件目録1記載のマキサカルシトール原薬(以下「被告製品1」という。)、並びに被告Y2、被告Y3及び被告Y4の販売に係る別紙物件目録2記載(1)ないし(3)の各マキサカルシトール製剤(以下、個別には「被告製品2(1)」などといい、これらを併せて「被告製品2」といい、被告製品1と併せて「被告製品」という。)の製造方法である別紙方法目録記載の方法(以下「被告方法」という。なお、被告製品1は、別紙物件目録1において、被告方法で製造されたものと特定されており、被告製品2は、別紙物件目録2において、被告方法で製造されたマキサカルシトールの製剤と特定されている。)は、本件特許に係る明細書(特許権設定登録時のもの。以下、図面と併せて「本件明細書」という。なお、本件特許は平成15年6月30日以前にされた出願に係るものであるから、本件特許に係る明細書は特許請求の範囲を含むものである〔平成14年法律第24号附則1条2号、3条1項、平成15年政令第214号〕参照の便宜のため,本判決末尾に本件特許に係る特許公報〔甲3〕の写しを添付する。)の特許請求の範囲の請求項13(以下、「本件特許の請求項13」といったり、単に「請求項13」ということがある。なお、請求項13以外の特定の請求項についても、同様の表現を用いることがある。)に係る発明(以下「本件発明」という。なお、特許権の侵害に係る訴訟において、当該特許が特許無効審判により無効とされるべきものと認められるか否かが争点となる場合には、請求項ごとに特許がされたものとみなして審理判断することになるから〔特許法104条の3第1項、123条1項柱書、185条参照〕、以下では、本件特許のうち、請求項13に係る発明〔本件発明〕についての特許を指して、「本件発明についての特許」ということがある。また、本件特許のうち、請求項13以外の特定の請求項〔例えば、請求項1〕に係る発明についての特許を指して、「請求項1に係る発明についての特許」などということがある。)と均等であり、その技術的範囲に属すると主張して、特許法2条3項3号、100条1項、2項に基づき、被告製品の輸入、譲渡等の差止め及び廃棄を求める事案である。
被告らは、被告方法が本件発明と均等ではないと主張するとともに、本件発明についての特許が特許無効審判により無効とされるべきものと認められると主張して、争っている。
2 前提となる事実(当事者間に争いがない事実以外は,末尾に証拠等を掲記する。)
(1) 当事者等
ア 原告は、医薬品の研究、開発、製造、販売及び輸出入等を業とする株式会社である。
イ 被告Y1は、医薬品の輸入、販売等を業とする株式会社である。
ウ 被告Y2、被告Y3、被告Y4は、それぞれ、医薬品の販売等を業とする株式会社である。
(2) マキサカルシトール
原告は、活性型ビタミンD3誘導体であるマキサカルシトールを有効成分とする角化症治療剤である商品名オキサロール軟膏・ローションを製造販売している。
活性型ビタミンD3の生理作用としては、古くからカルシウム代謝調節作用が知られていたが、細胞の増殖抑制作用や分化誘導作用等の多岐にわたる新しい作用が発見され、角化異常症の治療薬として期待されるようになっていた。しかし、活性型ビタミンD3には血中カルシウムの上昇という副作用の問題があった。
原告は、活性型ビタミンD3であるカルシトリオールの化学構造を修飾した物質であるマキサカルシトールが細胞増殖抑制作用、分化誘導作用を有しながら、血中カルシウム上昇作用が弱いことを見いだした。すなわち、下記の左図がビタミンD3(非活性)、中図がビタミンD3の1αと25位が水酸化して活性化したカルシトリオール(1α、25ジヒドロキシビタミンD3)であるが、原告は、カルシトリオールの22位のメチレン基を酸素原子に置き換えることによって、増殖抑制作用が10~100倍向上し、他方、副作用である血中カルシウム、リンの上昇作用がカルシトリオールよりも著しく弱い物質が得られることを見いだしたものである(弁論の全趣旨)。
この構造の物質がマキサカルシトール(右図)である。
【 図 】
原告は、昭和60年12月26日(優先権主張・昭和59年12月28日)、新規物質であったマキサカルシトールを含む9、10-セコ-5、7、10(19)-プレグナトリエン誘導体について特許出願をし、平成4年10月に特許権の設定登録を得た(特許第1705002号)。同特許権は、存続期間の延長登録を経て、平成22年12月26日に存続期間が満了した。
本件発明は、このマキサカルシトールを含む構成要件A(後記(4)で定義する。)に係る化合物の製造方法に関するものである。
(3) 本件特許権
原告は、以下の特許権(本件特許権)を、ザ・トラスティーズ・オブ・コロンビア・ユニバーシティ・イン・ザ・シティ・オブ・ニューヨーク(以下「コロンビア大学」という。)と持分2分の1ずつ共有している。
(4) 本件発明
本件特許の請求項13の記載は、別紙特許公報(写し)の【特許請求の範囲】【請求項13】のとおりであり、これを構成要件に分説すると以下のとおりである(以下、分説に係る各構成要件を、符号に対応して「構成要件A-1」などといい、構成要件A-1ないしA-6を併せて「構成要件A」、構成要件B-1ないしB-3を併せて「構成要件B」という。)。
A-1 下記構造を有する化合物の製造方法であって:
【 図 】
A-2 (式中、nは1~5の整数であり;
A-3 R1およびR2は各々独立に、所望により置換されたC1-C6アルキルであり;
A-4 WおよびXは各々独立に水素またはC1-C6アルキルであり;
A-5 YはO、SまたはNR3であり、ここでR3は水素、C1-C6アルキルまたは保護基であり;
A-6 そしてZは、式:
【 図 】
のCD環構造、式:
【 図 】
のステロイド環構造、または式:
【 図 】
のビタミンD構造であり、Zの構造の各々は、1以上の保護または未保護の置換基および/または1以上の保護基を所望により有していてもよく、Zの構造の環はいずれも1以上の不飽和結合を所望により有していてもよい)
B-1 (a)下記構造:
【 図 】
(式中、W、X、YおよびZは上記定義の通りである)
を有する化合物を
B-2 塩基の存在下で下記構造:
【 図 】
または
【 図 】
(式中、n、R1およびR2は上記定義の通りであり、そしてEは脱離基である)
を有する化合物と反応させて、
B-3 下記構造:
【 図 】
を有するエポキシド化合物を製造すること;
C (b)そのエポキシド化合物を環元剤で処理して化合物を製造すること;および
D (c)かくして製造された化合物を回収すること;
E を含む方法。
(5) 無効審判請求及び訂正請求
ア スイス法人であるセルビオスーファーマ エス アー(以下「セルビオス社」という。)は、本件特許を無効とすることにつき、特許無効審判(無効2013-800080)を請求した〔甲28〕。
コロンビア大学及び原告は、平成25年9月25日、同日付け訂正請求書〔甲15〕により、本件特許の「明細書及び特許請求の範囲」を「訂正明細書及び特許請求の範囲」(それぞれ「明細書」、「訂正明細書」とすべきところを誤記したものと解する。前記のとおり、本件特許は平成15年6月30日以前にされた出願に係るものであるから、特許請求の範囲は明細書から分離されていない。参照の便宜のため、本判決末尾に同訂正請求書に添付された「【書類名】特許請求の範囲」で始まる文書及び「【書類名】明細書」で始まる文書の各写し〔以下、これらを併せて、「訂正明細書」という。〕を添付する。)のとおり1群の請求項ごとに訂正すること(以下「本件訂正」という。)請求項13を後記のとおり訂正すること〔以下「本件発明についての訂正」ということがある。〕を含む。)を請求した。
特許庁は、平成26年7月25日、「請求のとおり訂正を認める。本件審判の請求は、成り立たない。」とする審決をした〔甲28〕。
イ 被告らは、本件特許の請求項1、2、4、6ないし14、16、18ないし30に係る発明についての特許を無効とすることを求めて、特許無効審判(無効2013-800222)を請求した〔乙17〕。
コロンビア大学及び原告は、平成26年4月30日、同日付け訂正請求書〔甲25〕により、本件特許の「明細書及び特許請求の範囲」を「訂正明細書及び特許請求の範囲」(平成25年9月25日付け訂正請求書と同様に、それぞれ「明細書」、「訂正明細書」とすべきところを誤記したものと解する。)のとおり1群の請求項ごとに訂正すること(訂正の内容は、本件訂正と同じである(甲15,25)。)を請求した。
特許庁は、平成26年9月24日の口頭審理に先立って通知した同年8月1日付け審理事項通知書〔甲29〕で、本件発明についての訂正を認める旨の暫定的見解を示した。
ウ 本件発明についての訂正は、目的物質及び出発物質を限定するとともに、導入される側鎖を下記構造のもの(以下「マキサカルシトールの側鎖」という。)に限定するという趣旨のものと理解される。
【 図 】
本件発明についての訂正は、特許請求の範囲の減縮を目的として、本件明細書に記載された事項の範囲内においてするものであって、実質上特許請求の範囲を拡張し、又は変更するものではなく(この点は、被告らも争っていない。)、被告方法は、本件訂正によって本件発明から除外された部分に属しない(この点も争いがない。)から、被告方法が本件発明と均等なものとして、同発明の技術的範囲に属するか否か、また、本件発明についての特許が特許無効審判により無効とされるべきものと認められるか否かは、訂正後の発明について検討すれば足りることになる。
(6) 訂正発明
本件訂正の請求項13の記載は、別紙訂正明細書の特許請求の範囲【請求項13】のとおりであり、同項に係る発明(以下「訂正発明」という。)を構成要件に分説すると次のとおりである(下線部が訂正箇所である。構成要件A-1、A-2’ないしA-6’を併せて「構成要件A’」という。)。
A-1 下記構造を有する化合物の製造方法であって:
【 図 】
A-2’ (式中、nは1であり;
A-3’ R1およびR2はメチルであり;
A-4’ WおよびXは各々独立に水素またはメチルであり;
A-5’ YはOであり;
A-6’ そしてZは、式:
【 図 】
のステロイド環構造、または式:
【 図 】
のビタミンD構造であり、Zの構造の各々は、1以上の保護または未保護の置換基および/または1以上の保護基を所望により有していてもよく、Zの構造の環はいずれも1以上の不飽和結合を所望により有していてもよい)
B-1 (a)下記構造:
【 図 】
(式中、W、X、YおよびZは上記定義の通りである)を有する化合物を
B-2 塩基の存在下で下記構造:
【 図 】
(式中、n、R1およびR2は上記定義の通りであり、そしてEは脱離基である)
を有する化合物と反応させて、
B-3 下記構造:
【 図 】
を有するエポキシド化合物を製造すること;
C (b)そのエポキシド化合物を還元剤で処理して化合物を製造すること;および
D (c)かくして製造された化合物を回収すること;
E を含む方法。
(7) 被告らの行為
ア 被告Y2、被告Y3及び被告Y4は、平成24年8月15日、それぞれ、被告製品2(1)ないし(3)の製造販売について厚生労働大臣の承認を受け、これらの製品は、同年12月14日、薬価基準収載された。
イ 被告Y1は、スイスの製薬メーカーであるセルビオス社が被告方法により製造した被告製品1を業として輸入し、少なくとも、被告Y3及び被告Y4に対して販売している。
被告製品2(被告Y2の販売に係る被告製品2(1)を含む。)が原薬(有効成分)として含有するマキサカルシトールは、いずれも被告方法によって製造されたものである。
ウ 被告方法は、本件発明の構成要件A、B-2、D(訂正発明の構成要件A’、B-2、D)を充足する。
被告方法は、工程1の出発物質Aが、構成要件B-1の引用する構成要件A-6(訂正発明の構成要件A-6’)の「Z」が「ビタミンD構造」で「1以上の保護……の置換基を有している」構造のうちの2つの保護の置換基を有している構造(シス(5Z)セコステロイド構造)ではなく、その幾何異性体であるトランス(5E)セコステロイド構造である点で、構成要件B-1を充足しない。
また、被告方法は、工程Ⅰ、Ⅱの中間体Cが、シス(5Z)セコステロイド構造ではなく、トランス(5E)セコステロイド構造を有している点で、構成要件B-3、Cを充足しない。
3 争点
本件の争点は、①被告方法が本件発明(訂正発明)と均等なものとして、同発明の技術的範囲に属するか否か(下記(1)ないし(5)の各要件の成否)、②本件発明(訂正発明)についての特許が特許無効審判により無効とされるべきものと認められるか否か(下記(6)ないし(10)の無効理由の有無)、③仮に、上記①が肯定され、上記②が否定されるときは、差止めの必要性(下記(11))の有無である。
なお、前記第2(5)ウのとおり、本件発明についての訂正が特許請求の範囲の減縮を目的として、本件明細書に記載された事項の範囲内においてするものであって、実質上特許請求の範囲を拡張し、又は変更するものではないことが認められるから、訂正発明について上記①及び②(下記(1)ないし(10))を検討すれば足りる(そこで、後記第3では、訂正発明についての当事者の主張を摘示する。)。
第3 争点に関する当事者の主張
1 争点1(均等の第1要件)について
(原告の主張)
訂正発明を公知技術と比べたときの特徴は、構成要件B及びCに記載されたマキサカルシトールの側鎖の導入法にあり、出発物質がビタミンD構造の化合物である場合に、同物質がシス体であることは、上記の側鎖導入反応に関係しておらず、訂正発明の特徴部分ではない。したがって、訂正発明と被告方法の相違点である、出発物質がシス体であるか、トランス体であるかは、訂正発明の本質的部分ではない。
(被告らの主張)
構成要件B-1の引用する構成要件A-6’の「Z」がビタミンD構造の場合は「シス体」であることが、訂正発明の本質的部分であり、それが「トランス体」である被告方法は、均等の第1要件を満たさない。
すなわち、本件優先日当時、「トランス体」のビタミンD誘導体を出発物質とし、当該物質を側鎖形成ブロックで塩基性条件下にアルキル化し、「トランス体」から「シス体」とすることで、マキサカルシトールと類似した構造の化合物が得られることは広く知られていた。訂正発明の本質的部分は、ステロイド環構造を有する化合物を出発物質とする場合と、ビタミンD構造の化合物を出発物質とする場合では当然異なるものであり、製造工程短縮という訂正発明の目的に照らすと、最終目的物であるマキサカルシトールが「シス体」であることから、ビタミンD構造の化合物を出発物質とする場合は、「トランス体」から「シス体」への変換を不要とし、工程を1工程減らすべく、「シス体」を出発物質に選択したことは、訂正発明の本質的部分というべきである。
2 争点2(均等の第2要件)について
(原告の主張)
(1) 均等の第2要件は、対象製品等が特許発明と客観的にみて実質的に同一かどうかの判断である。訂正発明の特徴は、マキサカルシトールの側鎖の導入法にあるから、出発物質のシス体がトランス体に置換されても、技術的に別の発明であると評価されることはなく、被告方法は、訂正発明の方法と実質的に同一である。そして、被告方法を行うことにより、側鎖導入反応の収率の向上と、さらに、その後のマキサカルシトールの側鎖の構造を形成する工程数を短縮できるという、訂正発明の作用効果を享受している。
(2) 訂正発明の反応は、出発物質と特定の試薬(構成要件B-2。被告方法に対応するものとしては4-ブロモ-2、3-エポキシ-2-メチルブタン。以下「本件試薬」という。)との反応によるエポキシ化合物中間体の生成と、同中間体のエポキシ開環の2段階の反応からなるが、1段階目の反応の後、後処理工程と精製工程を行って精製された反応中間体を取得し、次いで、それを2段階目の反応に供して目的物質を得るという通常のプロセスに対し、1段階目の反応が終了したら、後処理や精製を行わず、そのまま、同一容器に還元剤を添加して、2段階目の反応を行うのがワンポット反応である。ワンポット反応は、訂正発明の構成要件として記載されているものではなく、実施態様の1つであるが(すなわち、訂正発明の反応はワンポット反応としても実施できるし、2段階の反応を別々に行うこともできる。)、訂正発明の構成要件に規定された化学反応が、ワンポット反応を可能とする条件を有しているという意味において、訂正発明の作用効果である。
被告方法がワンポット反応を行っても、行わなくても、作用効果の同一性は認められる。被告方法がワンポット反応を行っている場合は、訂正発明の効果を最大限に享受していることになる。
(被告らの主張)
(1) 訂正明細書には、工程短縮と、それによる収率の向上が訂正発明の目的であることが記載されているところ、出発物質がトランス体である被告方法では、工程Ⅲが不可欠であり、その分だけ、シス体から出発する訂正発明の場合より工程数が多く、また、その結果、収率が低下することが不可避であるので、被告方法は、製造工程の短縮という訂正発明の効果を奏しない。
(2) ワンポット反応による効果は、訂正発明の構成に基づくものではなく、この点に関する原告の主張は、失当である。
3 争点3(均等の第3要件)について
(原告の主張)
被告方法において、シス体の出発物質ではなく、トランス体の出発物質を用いて本件試薬との反応によるエポキシ化合物中間体の生成と、同中間体のエポキシ開環の2段階の反応を行っても、生成されるトランス体の化合物を目的物質であるシス体のマキサカルシトールに効率よく転換できることが知られていた〔甲14〕ので、被告方法における出発物質の置換は、被告製品の製造時を基準としても、本件優先日を基準としても容易であった。一般に、化学の分野では反応の予測が容易でないとしても、訂正発明におけるシス体の出発物質をトランス体の出発物質で置換した反応について予測することは、あたかも装置の部品を置き換えることと違いがない程度に容易である。
(被告らの主張)
トランス体の出発物質に適宜側鎖を導入していくことが、本件優先日当時、当業者に容易に行えたという事実は、均等の第3要件の充足を意味しない。均等の第3要件は、違う技術を実施することの容易性ではなく、置換することによって当該発明を実現することが容易であることを求めるものである。装置の発明で部品を置き換えるのとは異なり、訂正発明においてシス体の出発物質をトランス体のものに置き換えた場合、まず、物性や化学的性質が異なるトランス体でも同様に側鎖が導入できるかは不明であり、ましてその収率は不明である。その上、最終的にシス体のマキサカルシトールを得るには、光異性化反応が必要となるから、シス体をトランス体に置換して原告の主張する「高い収率」が実現できるかは、当業者であっても、到底「容易に」想到できないものである。
4 争点4(均等の第4要件)について
(被告らの主張)
本件優先日当時、①マキサカルシトールは公知物質であったこと、②被告方法における出発物質、すなわちトランス体のビタミンD誘導体を出発物質として、マキサカルシトールの側鎖に類似する側鎖を導入し、光異性化反応によりシス体の目的物質を製造する方法が知られていたこと、③上記と構造の類似する出発物質に対し、アルキル化により炭素原子数が4~12の側鎖(マキサカルシトールの側鎖は、炭素原子数が5の場合である。)を導入する方法が知られていたこと〔乙3の2〕、④本件試薬を用いてエポキシ環を有する側鎖をアルコール化合物に導入し、還元剤でエポキシ環を開環することにより、マキサカルシトールの側鎖を導入する方法が知られていたこと〔乙9〕、⑤本件試薬に類似する「4-ブロモ-2-メチル-2-ブテン」の誘導体を使用して、ステロイド誘導体にマキサカルシトールの側鎖と類似する側鎖を効率よく導入することが知られていたこと〔乙14〕、⑥アルキル化に際し、エポキシ環を有する化合物をアルコールと反応させることにより、グリシジルエーテル化合物を合成したり、エポキシ環を所望の方向に開環したりすることは、周知であったこと〔乙6~8,10,11〕からすれば、被告方法におけるトランス体のビタミンD誘導体を出発物質とし、本件試薬によりエポキシ環を有する側鎖を導入し、導入した側鎖のエポキシ環を還元剤で開環して、マキサカルシトールの側鎖を導入した化合物を得て、これを光異性化することにより、マキサカルシトールを得ること(被告方法)は、本件優先日当時、当業者が容易に推考できたものというべきであり、均等の第4要件を充足しない。
(原告の主張)
乙4の2には、トランス体の出発物質が記載されているが、これと反応させる試薬により導入される側鎖は、マキサカルシトールの側鎖よりも長いものばかりであって、マキサカルシトールの側鎖は開示されていないし、仮に、マキサカルシトールの側鎖を直接導入しようとしても、反応は進まない〔甲13〕。乙6~8には、グリシジルエーテルの製造法が記載されているが、出発物質に当該方法を適用して得たグリシジルエーテル化合物のエポキシ環を開環しても、マキサカルシトールとは異なる側鎖の化合物が生成する。また、乙3の2は、マキサカルシトールの側鎖を導入する方法として、水銀を含む試薬を必要とする方法を開示するのみである。したがって、被告方法は、被告ら主張の公知技術に基づいて当業者が容易に推考できたものではない。
5 争点5(均等の第5要件)について
(被告らの主張)
均等の第5要件は、審査経過での限定のみならず、その明細書の成り立ち等から発明の内容を意識的に限定した場合も含むものであるところ、訂正明細書及びその引用する文献の記載内容からみて、訂正発明は、ビタミンD構造の化合物を出発物質とする場合には、「シス体」の化合物を出発物質とすることにあえて限定したものと理解するほかない。
(原告の主張)
トランス体の化合物を含むビタミンD3誘導体の合成ルートが学問的にはよく知られていても、医薬品の製造方法の発明において、シス体の目的物質を合成する方法の出発物質はシス体であるのが自然であり、訂正発明において、シス体のマキサカルシトールの製法の出発物質として自然なシス体のビタミンD構造を記載し、不自然なトランス体のビタミンD構造を記載しなかったことに、何の不合理性もない。したがって、訂正明細書の発明の詳細な説明において、出発物質に関する説明中に、トランス体の化合物を記載した文献を引用する記載をしつつ〔乙3の1,乙4の1〕、特許請求の範囲において、シス体のビタミンD構造のみを記載したことは、均等の第5要件の「特段の事情」に当たらない。
6 争点6(無効理由1:乙9を主引例とする進歩的欠如)について
(被告らの主張)
(1) 乙9には、訂正発明の構成要件B-2で特定される試薬に該当する「1-ブロモ(又はクロロ)-3-メチル-2、3-エポキシブタン」を用いて、エポキシ環を有する側鎖をアルコール化合物に導入し、還元剤でエポキシ環を開環することにより、マキサカルシトールの側鎖を導入する工程が記載されている(以下、乙9に記載された発明を「乙9発明」という。)。
訂正発明と乙9発明とを対比すると、以下の点で相違し、その余の点で一致する。
乙9発明の出発物質及び目的物は、訂正発明の構成要件B-1の引用する構成要件A-6’の「Z」で特定される構造(ステロイド構造又はビタミンD構造)を有していないのに対して、訂正発明の出発物質及び目的物は当該構造を有している点(構成要件A-1、A-6’、B-1及びB-3)。
(2) 乙14に示されるように、上記試薬に類似する「4-ブロモ-2-メチル-2-ブテン」の誘導体を使用して、ステロイド誘導体にマキサカルシトールの側鎖と類似する側鎖を効率よく導入することが知られており、また、乙3の2,乙4の2に示されるように、ビタミンD誘導体を出発物質として、マキサカルシトールの側鎖を当該誘導体に導入する方法も知られていた。
よって、当業者であれば、乙9発明及び上記技術事項に基づいて、乙9発明で使用されている試薬を、訂正発明の構成要件B-1の引用する構成要件A-6’の「Z」で特定される構造の出発物質に適用してそのOH基にマキサカルシトールの側鎖を導入した化合物を得る方法は、容易に想到できたことであり、顕著な効果も存在しない。
(原告の主張)
(1) 訂正発明と乙9発明は、以下の点で相違する(訂正発明の構成要件のうち、新規性・進歩性の判断において重要でない構成については、相違点として取り上げない。以下、同じ)。
(相違点1)訂正発明では、訂正発明の構成要件B-1の引用する構成要件A-6’の「Z」が「ステロイド環構造、またはシス型ビタミンD構造」であるのに対し、乙9発明では、「メチル」である。
(相違点2)訂正発明では、「(b)そのエポキシド化合物を還元剤で処理してマキサカルシトールを製造する工程」を含んでいるのに対し、乙9発明では、この工程を含んでいない(《証拠略》にエポキシ環の開環反応の記載があるが、「そのエポキシド化合物」が異なる。)。
(相違点3)訂正発明では、目的物質がマキサカルシトールであるのに対し、乙9には、その旨の記載がない。
(2) 訂正発明と乙9発明は、反応させる試薬が同じであっても、反応相手である出発物質が全く異なり(乙9発明の低分子アルコールは、訂正発明の出発物質とは大きく異なる。)、訂正発明の出発物質の22位のOH基と同試薬の反応性は、予測できるものではない。特に、訂正発明の高い収率やワンポット反応が可能なことは、全く予想できない。
そもそも、乙9には試薬(低分子アルコールとの反応)の記載があるだけで、当該試薬を訂正発明の出発物質と反応させてマキサカルシトールの側鎖の導入に使用することの示唆は全くない。
被告は乙14,乙3の2,乙4の2を引用するが、乙14は、本件試薬とは異なる試薬を用いた、マキサカルシトールの側鎖とは異なる側鎖の導入に関する文献である。乙3の2は、プレニルブロミド試薬の反応と水銀化合物の使用を伴うマキサカルシトールの側鎖の導入を記載しているが、収率を記載していないから、同試薬の反応性に関する特段の開示は存在しない。乙4の2は、マキサカルシトールの側鎖より長い側鎖の直接導入を記載しているが、マキサカルシトールの側鎖は直接導入ができないことを示唆している文献である。
(3) 訂正発明には、高い収率でワンポット反応が可能であるという、顕著な効果が存在する。
7 争点7(無効理由2:乙4の2を主引例とする進歩性欠如)について
(被告らの主張)
(1) 乙4の2の請求項5の工程c)及びd)には、トランス構造のビタミンD誘導体を出発物質としてマキサカルシトールの類似物質を製造する方法が開示されている(以下、乙4の2に記載された発明を「乙4発明」という。)。
訂正発明と乙4発明は、以下の点で相違し、その余の点で一致する。
(相違点1)訂正発明では、エポキシ環を含む特定の試薬を用いてエポキシ環を含む側鎖を導入するのに対して、乙4発明では、当該試薬とは異なる試薬を用いて側鎖を導入し、エポキシ環を還元剤で処理して開環する工程についても開示がない点。
(相違点2)訂正発明では出発物質としてシス体を用いるのに対し、乙4発明ではトランス体を用いる点。
(2) 乙9によれば、相違点1は容易に想到可能である。
また、原告は、シス体とトランス体は置換容易と主張しているのであるから、相違点2も容易に想到可能である。
したがって、訂正発明は、乙4発明及び上記技術事項に基づいて当業者が容易に想到することのできるものであり、顕著な効果も存在しない。
(原告の主張)
(1) 訂正発明と乙4発明は、以下の点で相違する。
(相違点1)目的物質である下記構造の化合物について:
【 図 】
訂正発明では、「A’」は下記構造:
【 図 】
であるのに対し、乙4発明では、「A’」は、最も訂正発明に近いもので、下記構造:
【 図 】
である(なお、訂正発明の構成要件A-6’の「Z」がビタミンD構造である場合、それはシス型であるのに対し、乙4発明ではトランス型のビタミンD構造であるが、訂正発明において、出発物質のビタミンD構造がシス型かトランス型かは重要ではないので、原告は「Z」の構造を相違点としていない。)。
(相違点2)訂正発明では、(試薬として使用する)化合物「E-B」(式中、Eは脱離基)は下記構造:
【 図 】
であるのに対し、乙4発明では、化合物「E-B」は、最も訂正発明に近いもので、下記構造:
【 図 】
である。
(相違点3)訂正発明では、下記構造:
【 図 】
を有するエポキシド化合物を製造すること;が含まれるのに対し、乙4発明では、側鎖構造が直接導入されて、下記構造:
【 図 】
「A’」は、最も訂正発明に近いもので、下記構造:
【 図 】
が製造される。
(相違点4)訂正発明では、「(b)そのエポキシド化合物を還元剤で処理して化合物を製造すること;」が含まれるのに対し、乙4発明には、これに相当する還元工程が含まれない(側鎖構造の直接導入)。
(2) 乙4の2には、マキサカルシトールの側鎖よりも長い側鎖を直接導入する記載はあるが、マキサカルシトールの側鎖を導入する目的は示唆されていない。
(3) 訂正発明には、高い収率でワンポット反応が可能であるという、顕著な効果が存在する。
8 争点8(無効理由4:乙14を主引例とする進歩性欠如)について(なお、無効理由3は欠番である。)
(被告らの主張)
(1) 乙14には、①「4-ブロモ-2-メチル-2-ブテン」の誘導体が、ステロイド環構造を有する化合物の側鎖の22位のOH基を高収率でアルキル化する試薬であること、そして、②その酸化により導入されたエポキシ環も高収率で開環すること、が開示されている(以下、乙14に記載された発明を「乙14発明」という。)。
訂正発明と乙14発明は、以下の点で相違し、その余の点で一致する。
(相違点1)乙14発明が「4-ブロモ-2-メチル-2-ブテン」の誘導体の試薬を用いるのに対して、訂正発明では、「4-ブロモ-2、3-エポキシ-2-メチルブタン」を試薬として用いる点。
(相違点2)乙14発明では、導入する側鎖がマキサカルシトールの側鎖と類似する構造であるのに対して、訂正発明で導入される側鎖はマキサカルシトールの側鎖と同一の側鎖である点。
(2) 乙9は、10種類の異なる構造を有するアルコール類について「4-ブロモ-2、3-エポキシ-2-メチルブタン」(本件試薬)が反応することを報告するものであり、当業者は、類似の構造を有する他の物質にも当該反応が応用できることを当然に理解する。乙14により、乙14発明に係る試薬を用いると高収率でステロイド環構造の出発物質の22位のOH基に側鎖を導入できることを知る当業者であれば、当該試薬に代えて、乙9記載の本件試薬を、ビタミンD構造やステロイド環構造の出発物質に適用することを容易に想到する。そして、乙9において導入されている側鎖はマキサカルシトールの側鎖であるから、乙9に基づき、マキサカルシトールの側鎖をステロイド環構造の化合物の22位のOH基に導入することは容易に想到することである。
したがって、訂正発明は、乙14発明及び上記技術事項に基づいて当業者が容易に想到することのできるものであり、顕著な効果も存在しない。
(原告の主張)
(1) 訂正発明と乙14発明は、以下の点で相違する。
(相違点1)目的物質である下記構造の化合物について:
【 図 】
訂正発明では「A’」は下記構造:
【 図 】
である(構成要件A-1、A-3’)のに対し、《証拠略》では、「A’」は下記構造:
【 図 】
である。
(相違点2)訂正発明では、(試薬として使用する)化合物「E-B」は下記構造:
【 図 】
である(構成要件B-2)のに対し、乙4では、化合物「E-B」は下記構造:
【 図 】
である。
(相違点3)訂正発明では、出発物質と化合物「E-B」の反応により下記構造:
【 図 】
を有するエポキシド化合物を製造すること;が含まれるのに対し、《証拠略》では、出発物質と化合物「E-B」の反応により、下記構造の化合物を生成し、
【 図 】
次いで、香月-シャープレス反応を用いて、下記構造:
【 図 】
のエポキシ化合物が製造される。
(2) 乙14と乙9のいずれにも、マキサカルシトールの側鎖の導入の記載はなく、乙14及び乙9から、訂正発明を容易に想到できるという論理は導かれるはずがない。
(3) 訂正発明には、高い収率でワンポット反応が可能であるという、顕著な効果が存在する。
9 争点9(無効理由5:実施可能要件違反)について
(被告らの主張)
訂正明細書の発明の詳細な説明において、本件試薬を用いたアルキル化反応として具体的に反応の詳細及び収率が示されているのは、目的物質及び出発物質がステロイド環構造の場合であり、ビタミンD構造の場合については具体的な記載が全くない。そして、ビタミンD構造の場合に、ステロイド環構造の場合と同様に反応するか、するとしてその効果はどの程度のものかを予測することができず、過度の試行錯誤が必要であり、訂正明細書の発明の詳細な説明には、訂正発明のうち、目的物質及び出発物質がビタミンD構造の場合について、当業者が実施することができるような記載がない。
(原告の主張)
訂正明細書には、反応図Bとして、出発物質と試薬とを塩基の存在下に反応させる工程(1)と、工程(1)で得られたエポキシ化合物のエポキシ環を還元剤を使用して開環する反応である工程(2)とからなる、訂正発明に対応する反応が記載され、工程(1)は、反応図Aの方法と同様に実施できると記載されている。訂正明細書には、出発物質として、ステロイド構造を有する化合物と、ビタミンD構造を有する化合物のいずれをも使用可能であることが説明されており、反応図Aの反応について、ステロイド構造と非ステロイド構造とを区別せず、好ましい反応条件が記載され、また、工程(2)の反応条件についても、ステロイド構造と非ステロイド構造とを区別せず、好ましい反応条件が記載されている。したがって当業者は、目的物質及び出発物質がステロイド構造の場合でも、ビタミンD構造の場合でも、訂正明細書に記載されている反応条件を適用して、訂正発明が実施可能であることを容易に認識することができる。
10 争点10(無効理由6:サポート要件違反)について
(被告らの主張)
訂正明細書の発明の詳細な説明におけるステロイド環構造を有する化合物を出発物質にした反応しか具体的に開示していない記載を、ビタミンD(セコステロイド)構造を有する化合物を出発物質にする場合にまで一般化できないことは、上記9のとおりであり、また、アルキル化に用いる本件試薬についても、訂正明細書の実施例等で効果が確認されているのは、4-ブロモ-2、3-エポキシ-2-メチルブタンのみであり、訂正発明の試薬に含まれる他の試薬が同様に反応するか否かも不明である。
したがって、訂正発明は、訂正明細書の発明の詳細な説明に記載されていない発明を含んでいる。
(原告の主張)
訂正明細書の発明の詳細な説明には、訂正発明におけるビタミンD構造を有する出発物質の反応についても、明確かつ十分に記載されている。
11 争点11(差止めの必要性)について
(原告の主張)
被告方法は、訂正発明と均等なものとして、訂正発明の技術的範囲に属するから、被告Y1が、業として、被告方法によって生産された物である被告製品1を輸入、譲渡する行為、並びに、被告Y2、被告Y3及び被告Y4が、各々、被告方法によって生産されたマキサカルシトールを原薬(有効成分)として含有する被告製品2を譲渡し、又は譲渡の申出をする行為は、いずれも、本件特許権に係る原告の持分権を侵害する。
したがって、原告は、被告らに対し、被告製品の譲渡等の差止請求権(特許法100条1項)及び被告製品の廃棄請求権(同条2項)を有する。
(被告らの主張)
争う。
第4 当裁判所の判断
1 争点1(均等の第1要件)について
(1) 被告方法が訂正発明の構成要件A’、B-2、Dを充足すること、また、被告方法における出発物質A及び中間体Cが、シス体のビタミンD構造の化合物ではなく、その幾何異性体であるトランス体のビタミンD構造の化合物であるという点で、被告方法が訂正発明の構成要件B-1、B-3、Cを文言上充足しないことは、いずれも争いがない。
特許請求の範囲に記載された構成中に、相手方が製造等をする製品又は用いる方法(以下「対象製品等」という。)と異なる部分が存する場合であっても、①同部分が特許発明の本質的部分ではなく(第1要件)、②同部分を対象製品等におけるものと置き換えても、特許発明の目的を達することができ、同一の作用効果を奏するものであって(第2要件)、③上記のように置き換えることに、当該発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者(当業者)が、対象製品等の製造等の時点において容易に想到することができたものであり(第3要件)、④対象製品等が、特許発明の特許出願時における公知技術と同一又は当業者がこれから当該出願時に容易に推考できたものではなく(第4要件)、かつ、⑤対象製品等が特許発明の特許出願手続において特許請求の範囲から意識的に除外されたものに当たるなどの特段の事情もないとき(第5要件)は、対象製品等は、特許請求の範囲に記載された構成と均等なものとして、特許発明の技術的範囲に属する(最高裁平成10年2月24日第3小法廷判決・民集52巻1号113頁[ボールスプライン事件]参照)。
そこで、以下、出発物質及び中間体にトランス体のビタミンD構造の化合物を用いる被告方法が、訂正発明においてシス体のビタミンD構造の化合物を用いる場合と均等なものといえるか、順次、均等の要件を判断する。
(2) 特許法が保護しようとする発明の実質的価値は、従来技術では達成し得なかった技術的課題の解決を実現するための、従来技術に見られない特有の技術的思想に基づく解決手段を、具体的な構成をもって社会に開示した点にあるから、明細書の特許請求の範囲に記載された構成のうち、当該特許発明特有の解決手段を基礎付ける技術的思想の中核をなす特徴的部分が特許発明における本質的部分であると理解すべきである。
まず、訂正発明のうち、原告が被告方法と対比している場合(マキサカルシトールを目的物質とし、本件試薬を使用する場合)は、出発物質(構成要件B-1)と本件試薬を塩基の存在下で反応させて中間体のエポキシド化合物(構成要件B-3)を製造し(以下「第1段階の反応」という。)、同エポキシド化合物を還元剤で処理して(エポキシ環を開環して)、マキサカルシトールを得る(構成要件C。以下「第2段階の反応」という。)ことからなるものである。
そして、訂正明細書(甲15)には、訂正発明の解決すべき課題、訂正発明の目的、訂正発明の効果につき明確な記載はなく、「下記構造……を有する化合物の製造方法は新規であり……多様な生理学的活性を有することができるビタミンD誘導体の合成に有用である。」(訂正明細書25頁)と記載されているにすぎないが、訂正明細書の「発明の背景」の記載(訂正明細書15~16頁)や実施例の記載(訂正明細書49~57頁)を総合すると、訂正発明は、従来技術に比して、マキサカルシトールを含む訂正発明の目的物質を製造する工程を短縮できるという効果を奏するものと認められる(なお、ワンポット反応が可能であることは、訂正明細書に「工程(2)の反応は工程(1)の後に、より具体的にはシリカゲルクロマトグラフィーなどの適切な方法によって工程(1)の反応生成物を精製した後に実施することができ、あるいはまたそれは、工程(1)の反応生成物を精製することなくそれを含む混合物に還元剤を直接添加することによって実施することもできる。工程(2)を工程(1)の後に生成物を精製することなく実施する方法は、「ワンポット反応」と称され、この方法は操作上の冗長さが少ないので好ましい。」(訂正明細書41頁)と記載されているとおり、訂正発明の一部の実施態様において得られる効果にすぎず、訂正発明の構成要件を充足する方法を使用すれば常にワンポット反応が可能となるものではないから、訂正発明の奏する効果であるとは認められない。また、高い収率が得られることも、収率が必ずしも高くない結果を含む実施例8~24も訂正発明の実施例として記載されており、訂正発明の構成要件を充足する方法を使用すれば常に高い収率が得られるというものではないから、訂正発明の奏する効果であるとは認められない。)。
ここで、訂正発明が工程を短縮できるという効果を奏するために採用した課題解決手段を基礎付ける重要な部分(訂正発明の本質的部分)は、ビタミンD構造又はステロイド環構造を有する目的物質を得るために、かかる構造を有する出発物質に対して、構成要件B-2の試薬(本件試薬を含む。)を塩基の存在下で反応させてエポキシド化合物を製造し(第1段階の反応)、同エポキシド化合物を還元剤で処理する(エポキシ環を開環する)(第2段階の反応)という2段階の反応を利用することにより、所望の側鎖(マキサカルシトールの側鎖)を導入するところにあると認めるのが相当である。
(3) 被告らは、出発物質がビタミンD構造の場合、シス体を用いることと構成要件B-2の試薬(本件試薬を含む。)を用いることの組合せが訂正発明の特徴であり、出発物質がシス体であることも、訂正発明の本質的部分である旨主張する。
そこで、シス体とトランス体の意義についてみると、以下のとおりである。
ビタミンD類の基本的な骨格として、側鎖を除いた、
【 図 】
という構造を共に有している。
この基本骨格には上部の2環から繋がる3つの二重結合があり、これを通常「トリエン」と呼ぶ。この「トリエン」は、二重結合部分では結合を軸として回転することができない。そのため、ビタミンD類には、このトリエン構造に由来する幾何異性体が左図に示すように2つ存在する。
【 図 】
この左側のトリエンの並び方のものを「シス体」(5Z)といい、右側の並び方のものを「トランス体」(5E)という。
ビタミンD構造の出発物質がシス体であっても、トランス体であっても、第1段階の反応で、出発物質の22位のOH基に塩基の存在下で本件試薬と反応させてエポキシド化合物を合成する左図のような反応
【 図 】
に変わりはなく、第2段階の反応で、エポキシ環を開環してマキサカルシトールの側鎖を導入する左図のような反応
【 図 】
にも変わりはない。
被告方法は、ビタミンD構造の出発物質に本件試薬を使用し、第1段階の反応と第2段階の反応という2段階の反応を利用している点において、訂正発明と課題解決手段の重要部分を共通にするものであり、出発物質及び中間体がシス体であるかトランス体であるかは、課題解決手段において重要な意味を持つものではない。
(4) 以上によれば、目的物質がビタミンD構造の場合において、出発物質及び中間体がシス体であるかトランス体であるかは、訂正発明の本質的部分でないというべきである。
したがって、被告方法は、均等の第1要件を充足する。
2 争点2(均等の第2要件)について
(1) 上記1(2)のとおり、訂正発明によるマキサカルシトールの製造方法は、従来技術に比して工程を短縮できるという効果を奏するものと認められる。
(2) 被告方法は、ビタミンD構造の出発物質に本件試薬を使用し、第1段階の反応と第2段階の反応という2段階の反応を利用している点において、出発物質及び中間体をシス体からトランス体に置き換えても、従来技術に比して工程を短縮できるという訂正発明の目的を達することができ、訂正発明と同一の作用効果を奏するものと認められる。
(3) 被告らは、出発物質がトランス体である被告方法では、トランス体の物質Dをシス体に転換する工程Ⅲが不可欠であり、その分だけ、シス体から出発する訂正発明の場合より工程数が多く、また、その結果、収率が低下することが不可避であるので、被告方法は、製造工程の短縮という訂正発明の効果を奏しない、と主張する。
しかし、被告方法の工程Ⅲにおいてトランス体をシス体に転換する工程を加味しても、最終的な工程数は従来方法よりも改善されていると認められるから、被告方法が訂正発明と同一の作用効果を奏しないとはいえない。
なお、原告は、均等の第2要件の判断において、訂正発明の構成要件に対応しないトランス体からシス体への変換工程は考慮の対象でない旨主張しているが、被告方法の工程Ⅰ、Ⅱのみと訂正発明とを対比すると、被告方法の工程Ⅰ、Ⅱではトランス体の物質Dが得られるにすぎず、医薬品の有効成分として有用なシス体のマキサカルシトールを得ることはできないのであるから、訂正発明と同一の作用効果を奏しないことが明らかであり、訂正発明と対比すべきは被告方法の全部でなければならない。
(4) 以上によれば、被告方法は、訂正発明と同一の作用効果を奏する。
したがって、被告方法は、均等の第2要件を充足する。
3 争点3(均等の第3要件)について
(1) 所望のビタミンD誘導体を製造するに際し、トランス体の化合物を出発物質として、適宜側鎖を導入し、シス体のビタミンD誘導体を得る方法は、本件優先日当時、既に当業者の知るところであった(甲14,乙1,2)。
そうすると、訂正発明を知る当業者は、被告方法実施時点において、訂正発明におけるビタミンD構造の出発物質をシス体からトランス体に置き換え、最終的にトランス体の物質Dをシス体に転換するという被告方法を容易に想到することができたものと認められる。
(2) 被告らは、物性や化学的性質が異なるトランス体でも訂正発明と同様に側鎖が導入できるかは不明であり、ましてその収率は不明であるから、当業者は置換を容易に想到できないと主張する。
しかし、マキサカルシトールの側鎖の導入に際して反応する第22位のOH基は、トランス体とシス体とで構造が異なる二重結合の位置から遠く、これら二重結合の位置によってマキサカルシトールの側鎖の導入過程の反応が異なるとは考え難いから、当業者は、シス体のビタミンD構造の化合物を出発物質とした場合であっても、訂正発明と同様に、マキサカルシトールの側鎖の導入が可能であると認識し、トランス体とシス体の置換を容易に想到できるものと認めるのが相当である。
(3) 以上によれば、当業者は、被告方法の実施時点において、訂正発明の出発物質及び中間体をトランス体からシス体に置き換えることを容易に想到できたものというべきである。
したがって、被告方法は、均等の第3要件を充足する。
4 争点4(均等の第4要件)について
(1) 被告らは、被告方法は、乙4発明を中心とする本件優先日時点における公知技術に基づいて、容易に推考できたものであると主張する。
(2) 乙4の2は、本件優先日(平成8年9月3日)前である平成4年8月13日に頒布された公表特許公報(特表平4-504573)である。
乙4の2の請求項5の発明の工程c)、d)には、以下の方法が開示されている(甲29・5~7頁,乙4の2)。
c)1(S)、3(R)-ビス-(t-ブチルジメチルシリルオキシ)-9、10-セコープレグナ-5(E)、7(E)、10(19)-トリエン-20(S)-オールを、式Z-R3[式中、Zは脱離基、例えばハロゲン、p-トルエンスルホニルオキシまたはメタンスルホニルオキシである。]で示される側鎖形成ブロックで塩基性条件下にアルキル化して、式Ⅲ
【 図 】
[式中、R3はR(Rは前記と同意義またはその類似体である)、または要すればRに変換し得る基である。]
で示される化合物を生成し;
d) 右記式Ⅲの化合物を三重項増感光異性化並びに要すればR3からRへの変換および脱保護に付して、式Ⅰ
【 図 】
[式中、Rは、要すれば水酸基で置換した炭素原子数7~12のアルキル基を表す。]の化合物またはその類似体を製造する方法。
(3) 乙4発明と被告方法は、トランス体のビタミンD誘導体を出発物質とし、当該物質を試薬で塩基性条件下にアルキル化し、トランス体の化合物を生成し、これをシス体に転換して所望のシス体のビタミンD誘導体である目的物質を製造する方法である点で一致し、以下の点で相違する。
(相違点1)被告方法では、4-ブロモ-2、3-エポキシ-2-メチルブタン(本件試薬)により側鎖を導入し、本件試薬により導入されたエポキシ環を開環しているのに対し、乙4発明では側鎖導入試薬は式Z-R3で示される試薬であり、試薬がエポキシ基を含まず、試薬で導入されたエポキシ環を還元剤で処理して開環する工程についても開示がない点。
(相違点2)被告方法の目的物質はマキサカルシトールであり、導入される側鎖の炭素原子数が5であるのに対して、乙4発明の目的物質は、導入された側鎖の炭素原子数が7~12であり、マキサカルシトールではない点。
(4) 相違点2について
乙4発明の目的物質はマキサカルシトールではないから、乙4発明から被告方法を推考するには、まず、乙4発明をマキサカルシトールの製造に応用する動機付けが必要である。
この点、乙4の2・6頁右上欄10行以下には、「化合物3……は、非常に多目的な中間体であり、本発明の化合物Ⅰの製造用の中間体であるばかりではなく、基Rが本発明のもの以外である式Ⅰの他の類似体、例えば既知の22-オキサ-1、25-(OH)2D3の中間体でもある。実際、本発明の化合物と直接生物学的に比較するための22-オキサ-1、25-(OH)2D3の対照サンプルの合成のために、図式1および2の両方の反応を適宜使用した。」との記載がある。
ここでいう「化合物3」は、乙4発明の出発物質(被告方法の出発物質と同じ、トランス体のビタミンD誘導体)、「22-オキサ-1、25-(OH)2D3」はマキサカルシトールであるから、当業者は、上記示唆に基づき、乙4発明の出発物質を出発物質とし、乙4発明の目的物質に代えてマキサカルシトールを目的物質とすることを容易に推考できると認めるのが相当である。
(5) 相違点1について
相違点2を克服し、目的物質をマキサカルシトールとした場合、乙4発明の試薬で導入される側鎖はマキサカルシトールの側鎖ではないのであるから、マキサカルシトールの側鎖を導入するには、別の試薬による別の反応が必要となる。
乙4の2と同一の出願人による乙3の2には、乙4発明の出発物質を出発物質とし、乙4発明と同じ試薬で塩基条件下にアルキル化して、炭素原子数4~12のアルキル基を導入することが開示され、乙3の2の第2表の「化合物番号7」には、「-(CH2)2-C(OH)Me2」という、マキサカルシトールの側鎖を有するトランス体の化合物(トランス体である点と、21位のメチル基の立体構造がマキサカルシトールとは異なる。)が得られたことが開示されている。
この化合物7は、酢酸水銀Ⅱを用いて化合物4から製造され(乙3の2の製造例12)、化合物4は、4-ブロモ-2-メチル-2-ブテンを用いて化合物3(乙4発明の出発物質と、21位のメチル基のみが異なる化合物)から製造されたものである(乙3の2の製造例11)。この反応を図示すると、以下のとおりである。
【 図 】
これらの公知文献に接した当業者は、乙4発明の出発物質を出発物質とし、乙3の2の製造例11と同様の方法により出発物質の22位のOH基を上記中図のような側鎖に置換し、続いて乙3の2の製造例12と同様の方法により側鎖をマキサカルシトールの側鎖に置換し、最後にトランス体からシス体に転換する方法によりマキサカルシトールを製造する方法を、容易に推考できるといえる。
しかし、これと異なり、本件試薬を用いて出発物質の22位のOH基をエポキシ化し、続いてエポキシ環を開環してマキサカルシトールの側鎖を導入し、最後にトランス体からシス体に転換してマキサカルシトールを製造するという方法については、乙4の2,乙3の2には何らの記載も示唆もない。
この点、本件試薬自体は公知であった(乙9)が、乙9記載の試薬をマキサカルシトールの製造に使用することは、乙4の2にも、乙9にも、本件訴訟に書証として提出された他の公知文献でも、記載されておらず、その示唆もない。
そうすると、上記のとおり、乙4発明をマキサカルシトールの製造に応用することを想到した当業者においても、乙9記載の試薬を乙4発明と組み合わせて被告方法を推考する動機付けがあるとはいえない。相違点1は、当業者において容易に推考できるものとはいえない。
(6) 以上によれば、被告方法は、被告ら主張の公知技術から容易に推考できたものとはいえない。
したがって、被告方法は、均等の第4要件を充足する。
5 争点5(均等の第5要件)について
(1) 被告らは、訂正発明のうち、出発物質がビタミンD構造の場合は、出発物質がシス体に意識的に限定されたものとみるべきである旨主張する。
(2) 訂正明細書(甲15)の特許請求の範囲の請求項13において、構成要件AのビタミンD構造を図示した箇所や、他の請求項においてビタミンD構造を図示した箇所には、シス体のビタミンD構造が図示されている(訂正明細書1~12頁)。
また、訂正明細書の発明の詳細な説明には、ビタミンD構造、訂正発明の出発物質、中間体又は目的物質を説明した箇所で、シス体のビタミンD構造が図示されている(訂正明細書17~19,21,22,24,27,32,34~38,43,45~48頁)。
しかし、訂正明細書には、「シス体」、「トランス体」、「5E」、「5Z」といった、シス体とトランス体の区別を明示する用語は使用されておらず、トランス体を用いる先行技術との相違によって、本件特許が登録されるに至ったような事情も見当たらない。
そうすると、訂正発明において、出発物質及び中間体がビタミンD構造の場合に、シス体に意識的に限定したとか、トランス体を意識的に除外したとまでは認められない。
(3) 被告らは、明細書に他の構成の候補が開示され、出願人においてその構成を記載することが容易にできたにもかかわらず、あえて特許請求の範囲に特定の構成のみを記載した場合には、当該他の構成に均等論を適用することは、均等論の第5要件を欠くこととなり、許されないと解するべきであるところ(知財高裁平成24年9月26日判決・判時2172号106頁[医療用可視画像の生成方法事件])、①訂正明細書に、出発物質として使用できる公知化合物の例として引用されている「国際特許公開公報WO90-09991(1990年9月7日)およびWO90/09992(1990年9月7日)に記載された所望により水酸基が保護されている9、10-セコ-5、7、10(19)-プレグナトリエン-1α、3β、20β-トリオール」(訂正明細書30頁)は、そこに引用された国際特許公開公報(乙3の1,乙4の1)に対応する日本特許公表特許公報(乙3の2,乙4の2)を見るとトランス体のビタミンD構造化合物であり、トランス体とシス体を明確に区別している、②目的物質であるマキサカルシトールは、シス体として医薬品の製造承認を受け、構造式においてもシス体であることが明記されている(乙5)、③訂正発明の中間体のエポキシアルキシ部分の水素原子は立体異性の配置をとるところ、構成要件B-3はそれを表示するために、化学結合を波線で「~~H」と記載し、Hの付け根の立体構造がR体とS体の立体異性体の双方を含むことを明示している、④訂正明細書には、SO2により保護されたビタミンD構造の例として左右2つの図が図示されており(訂正明細書28頁)、これは単結合で回転した同一の化合物であるが、にもかかわらず、右の図を記載したのは、SO2を脱離した後に生成するトランス体を意識したものである、等の点を指摘して、本件特許の出願人であるコロンビア大学及び原告(以下「出願人ら」という。)において、出発物質をシス体に意識的に限定したものである旨主張する。
しかし、まず、上記①の点についてみると、訂正明細書に引用された文献の内容においてトランス体とシス体を区別していたとしても、訂正明細書の本文においてトランス体とシス体を明確に区別した記載がないことは上記のとおりであり、出願人らが出発物質をシス体に意識的に限定した根拠となるものではない。
次に、上記②の点についてみると、目的物質がシス体であるからといって、出発物質もシス体でなければならないわけではなく、出願人らが出発物質を意識的に限定した根拠となるものではない。トランス体の出発物質からシス体の目的物質を得る方法は公知であったが(乙1,2,乙3の2.乙4の2)、訂正明細書にそのような他の構成の候補が開示されていたわけではないから、出願人らにおいて出発物質にトランス体を記載しなかったからといって、出発物質をシス体に意識的に限定したとまではいえない。
対象製品等に係る構成が、特許出張手続において特許請求の範囲から意識的に除外されたというには、出願人又は特許権者が、出願手続等において、対象製品等に係る構成が特許請求の範囲に含まれないことを自認し、あるいは補正や訂正により当該構成を特許請求の範囲から除外するなど、対象製品等に係る構成を明確に認識し、これを特許請求の範囲から除外したと外形的に評価し得る行動がとられていることを要すると解すべきであり、特許出願当時の公知技術等に照らし、対象製品等に係る構成を容易に想到し得たにもかかわらず、そのような構成を特許請求の範囲に含めなかったというだけでは、対象製品等に係る構成を特許請求の範囲から意識的に除外したということはできないというべきである(知財高裁平成17年(ネ)第10047号同一8年9月25日判決[椅子式エアーマッサージ機事件]参照)。
上記③の点についてみると、R体-S体の立体異性(鏡像異性)とシス体-トランス体の立体異性(幾何異性)とは性質が異なるものであるから、訂正明細書においてR体とS体の区別を前提とする記載があるからといって、出発物質をシス体に意識的に限定した根拠となるものではない。
上記④の点についてみると、被告らの指摘する図がトランス体を意識した記載であると認めるに足りる証拠はなく、SO2の付加により保護されたビタミンD構造について2種類の図(トランス体とシス体ではなく、同一の構造を回転させた図)を記載したからといって、出発物質をシス体に意識的に限定した根拠となるものではない。
(4) 以上によれば、本件において、出発物質をトランス体とする被告方法が本件特許の出願手続等において特許請求の範囲から意識的に除外されたものに当たるなどの特段の事情はない。
したがって、被告方法は、均等の第5要件を充足する。
6 争点6(無効理由1:乙9を主引例とする進歩性欠如)について
(1) 乙9は、本件優先日(平成8年9月3日)前である昭和57年(1982年)に頒布された、「CHEMISTRY OF HETEROCYCLIC COMPOUNDS」と題する書籍に登載された、「1-ハロ-3-メチル-2、3-エポキシブタンとアルコール類との反応」と題する論文である。
乙9には、以下の方法(乙9発明)が開示されている。
1-ブロモ(又はクロロ)-3-メチル-2、3-エポキシブタンと、アルコール類とを、アルカリ金属アルコキシドの存在下で反応させ、エポキシエーテルを生成する方法。
(2) 「1-ブロモ(又はクロロ)-3-メチル-2、3-エポキシブタン」は訂正発明の本件試薬に、「アルカリ金属アルコキシド」は訂正発明の「塩基」に相当するから、乙9発明と訂正発明とは、以下の点
「(a)下記構造:
【 図 】
(式中、W及びXは各々独立に水素又はメチルであり;YはOである)を有する化合物を塩基の存在下で下記構造:
【 図 】
を有する化合物と反応させて、下記構造:
【 図 】
(式中、W、X、Yの定義は上記のとおり、n=1、R1及びR2はメチルである)を有するエポキシド化合物を製造すること;(c)かくして製造された化合物を回収すること;
を含む方法。」
すなわち、OH基を有する化合物を出発物質とし、当該物質を塩基の存在下で本件試薬と反応させてエポキシド化合物を製造する方法である点で一致し、以下の点で相違する。なお、原告は、「塩基の存在下」についても相違点であるかのように主張する部分があった(原告第3準備書面20~21頁)が、最終的には相違点として主張しないものと解される(原告第14準備書面5頁)。
(相違点1)訂正発明では、出発物質の「Z」はシス型のビタミンD構造(ステロイド環構造であってもよいが、進歩性の判断の結論に影響しない。)である(構成要件A-6)のに対し、乙9発明では「メチル」である点。
(相違点2)訂正発明が「(b)そのエポキシド化合物を還元剤で処理して化合物を製造する工程」(構成要件C)を含んでいるのに対し、乙9発明がこの工程を含むかは必ずしも明らかでない点。
(相違点3)乙9発明で生成されるのはエポキシエーテルであって、訂正発明の目的物質ではない点。
(3) 相違点3について
ア 乙9発明は、訂正発明の目的物質を製造するものではないから、乙9発明から訂正発明を想到するには、まず、乙9発明を訂正発明の目的物質(例えば、マキサカルシトール)の製造に応用する動機付けが必要である。
マキサカルシトールを含む訂正発明の目的物質自体は公知であった(乙4の2)が、その製造に乙9発明の試薬を用いることについては、乙9にも、乙4の2にも、本件訴訟に書証として提出された他の公知文献にも記載されておらず、その示唆もない。
イ 被告らは、ビタミンD誘導体を出発物質としてマキサカルシトールの側鎖と類似する側鎖を当該誘導体に導入する方法が検討されていたところ(乙3の2,乙4の2)、乙9は、同様に、特定の側鎖構造の導入という技術課題に関するものであり、乙9で出発物質として開示されているイソプロピルアルコール(d R=i-C3H7)は、ビタミン誘導体の側鎖の20位の部分と構造が類似しているから、当業者であれば、乙9の試薬をビタミンD構造やステロイド構造の出発物質に適用して、マキサカルシトールの側鎖を導入させることを容易に想到する、と主張する。
しかし、イソプロピルアルコールは分子量60の低分子量の液体であり、乙9に開示されている他のアルコール類も全て分子量32~108程度の液体であるのに対し、訂正発明の出発物質は、分子量が約300の、常温で固体の物質であって、以下の図に示すように、その構造は大きく異なっている。
【 図 】
そうすると、当業者において、乙9に記載された反応がステロイド構造やビタミンD構造の出発物質に対しても同様に適用可能であると考え、《略》の試薬をビタミンDやステロイド構造の出発物質と組み合わせることを容易に想到するとはいえない。
被告らは、薬学研究者の意見書(乙15)を提出するが、イソプロピルアルコールとビタミンD構造の出発物質との構造の相違について説明されているものではなく、上記認定を左右するものではない。
また、被告らは、乙9が特定の側鎖構造の導入という技術課題に関するものであると主張するが、乙9はマキサカルシトールの側鎖の導入を技術課題としたものではないから、マキサカルシトールの側鎖の導入という技術課題に直面した当業者において、乙9発明の試薬を用いる動機付けがあるとはいえない。
ウ 乙3の2や乙14は、マキサカルシトールを含む訂正発明の目的物質を目的物質とするものではないから、乙9と乙3の2,乙14を組み合わせても、訂正発明に想到することはあり得ない。
エ 訂正発明の発明者の論文である甲13(訳文は乙13)や乙24には、訂正発明の発明者らが、乙9の論文に接して訂正発明に至ったことが記載されている(乙13・参考文献12,乙24・参考文献6)。
しかし、甲13(乙13)、乙24は、いずれも本件特許が登録された後の平成16年(2004年)及び平成21年(2009年)になって、発明に至った契機を振り返って記載したものであって、本件優先日時点(平成8年9月3日)における当業者の認識を表すものとはいえず、これらの論文によっても、当業者において乙9の試薬を訂正発明の目的物質の製造方法に使用することが容易想到であったとはいえない。
オ 以上によれば、相違点3は容易想到であるとはいえない。
(4) 小括
以上のとおり、相違点3は容易想到であるとはいえないから、その余の相違点について検討するまでもなく、訂正発明が乙9発明から容易に想到可能であるとはいえない。
したがって、無効理由1(乙9を主引例とする進歩性欠如)は理由がない。
7 争点7(無効理由2:乙4の2を主引例とする進歩性欠如)について
(1) 本件優先日(平成8年9月3日)前である平成4年8月13日に頒布された乙4の2には、以下の方法(乙4発明)が開示されている。 c) 1(S)、3(R)-ビス-(t-ブチルジメチルシリルオキシ)-9、10-セコ-プレグナ-5(E)、7(E)、10(19)-トリエン-20(S)-オールを、式Z-R3[式中、Zは脱離基、例えばハロゲン、p-トルエンスルホニルオキシまたはメタンスルホニルオキシである。]で示される側鎖形成ブロックで塩基性条件下にアルキル化して、式Ⅲ
【 図 】
[式中、R3はR(Rは前記と同意義またはその類似体である)、または要すればRに変換し得る基である。]
で示される化合物を生成し;
d) 右記式Ⅲの化合物を三重項増感光異性化並びに要すればR3からRへの変換および脱保護に付して、式Ⅰ
【 図 】
[式中、Rは、要すれば水酸基で置換した炭素原子数7~12のアルキル基を表す。]の化合物またはその類似体を製造する方法。
(2) 乙4発明と訂正発明は、以下の点
「左記の構造を有する化合物の製造方法であって:
【 図 】
(式中、W及びXは各々独立に水素又はメチルであり;YはOであり;そしてZはビタミンD構造である)
(a)下記構造:
【 図 】
(式中、W、X、Y及びZは上記定義のとおりである)。を有する化合物を塩基の存在下で下記構造
【 図 】
を有する化合物(式中、Eは脱離基である。)と反応させて下記構造:
【 図 】
(式中、W、X、Y及びZは上記定義のとおりである。)を有する化合物を製造すること;
(b)その化合物をさらに反応させてシス体のビタミンD誘導体である化合物を製造すること;及び
(c)かくして製造された化合物を回収すること;
を含む方法。」
すなわち、ビタミンD構造を有する化合物を出発物質として、塩基の存在下で試薬と反応させ、ビタミンD構造の目的物質を製造する方法である点で一致し、以下の点で相違する。
(相違点1)目的物質の「Y-A」について、乙4発明では、YはOであり、AはOH基で置換した炭素原子数7~12のアルキル基であり、訂正発明で限定されたマキサカルシトールの側鎖ではない点。
(相違点2)訂正発明では、出発物質及び中間体のZはいずれもシス型のビタミンD構造の化合物であるのに対し、乙4発明では、出発物質及び中間体のZはいずれもトランス体のビタミンD構造の化合物である点。
(相違点3)訂正発明では、(試薬として使用する)化合物「E-B」は下記構造:
【 図 】
であるのに対し、乙4発明では、化合物「E-B」は、最も訂正発明に近いもので、下記構造:
【 図 】
である点。
(相違点4)訂正発明では、中間体はエポキシ基を有するエポキシド化合物であるのに対し、乙4発明の中間体は、目的物質と同じ側鎖を有するトランス体のビタミンD構造の化合物である点。
(相違点5)訂正発明では、(b)の処理は「(b)そのエポキシド化合物を還元剤で処理して化合物を製造すること;」であるのに対し、乙4発明では、(b)の工程は、トランス体の中間体を光異性化によりシス体の目的物質に変換する処理である点。
(3) 相違点3について
乙4発明の試薬で導入される側鎖はマキサカルシトールの側鎖ではないのであるから、マキサカルシトールの側鎖を導入するには、別の試薬による別の反応が必要となるところ、本件試薬を用いて出発物質の22位のOH基をエポキシ化し、続いてエポキシ環を開環してマキサカルシトールの側鎖を導入し、最後にトランス体からシス体に転換してマキサカルシトールを製造するという方法については、乙4の2,乙3の2には記載されておらず、その示唆もない。
本件試薬自体は公知であった(乙9)が、乙9記載の試薬をマキサカルシトールを含む訂正発明の目的物質の製造に使用することは、乙4の2にも、乙9にも、書証として提出された他の公知文献にも記載されておらず、その示唆もない。
そうすると、当業者が乙4発明をマキサカルシトールの側鎖の導入に応用することを想到したと仮定してみても、直ちに乙9記載の試薬を乙4発明と組み合わせる動機付けがあるとはいえない。
したがって、相違点3は、当業者において容易想到とはいえない。
(4) 小括
以上によれば、相違点3は容易想到であるとはいえないから、その余の相違点について検討するまでもなく、訂正発明が乙4発明から容易に想到可能であるとはいえない。
したがって、無効理由2(乙4の2を主引例とする進歩性欠如)は理由がない。
8 争点8(無効理由4:乙14を主引例とする進歩性欠如)について
(1) 乙14は、本件優先日(平成8年9月3日)前である平成8年2月1日に頒布された「有機合成化学協会誌第54巻第2号」に登載された、訂正発明の発明者の1人である久保寺登の「活性型ビタミンD誘導体-医薬品開発の過程で合成研究者が担当する多彩な役割」と題する論文である(乙14の注13の論文(甲20)は,平成6年(1994年)に発表されたことが記載されているが,被告らが主引例としているのは乙14であって甲20ではないから,以下,乙14の開示内容のみを検討する)。
乙14には、以下の図が記載されており、20(S)-アルコール(8)と4-ブロモ-2-メチル-2-ブテンとを反応させて以下の中図のプレニル基を有するステロイド化合物を生成し、引き続き、香月-シャープレス反応を用いて以下の18、19のエポキシド化合物を生成し、これにDIBAH(水素化ジイソブチルアルミニウム)を用いて、以下の右下のステロイド化合物を得る方法(乙14発明)が開示されている。
【 図 】
(2) 乙14発明と訂正発明とは、以下の点
「下記構造を有する化合物の製造方法であって:
【 図 】
(式中、WおよびXは各々独立に水素またはメチルであり;YはOであり;そしてZはステロイド環構造である)
(a)下記構造:
【 図 】
(式中、W、X、Y及びZは上記定義のとおりである。)を有する化合物を下記構造
E-B
を有する化合物(式中、Eは脱離基である。)と反応させて、下記構造:
【 図 】
を有するエポキシド化合物を製造すること;
(b)そのエポキシド化合物を還元剤で処理して化合物を製造すること;及び
(c)かくして製造された化合物を回収すること;
を含む方法。」
すなわち、OH基を有するステロイド化合物を出発物質とし、当該物質を試薬と反応させてエポキシド化合物を製造し、そのエポキシド化合物を処理して所望のステロイド化合物を製造する方法である点で一致し、以下の点で相違する。
(相違点1)目的物質の「Y-A’」について、次の右図の乙14発明の側鎖
【 図 】
は、訂正発明で限定された上記左図のマキサカルシトールの側鎖ではない点。
(相違点2)訂正発明では、(試薬として使用する)化合物「E-B」は下記構造:
【 図 】
の「4-ブロモ-2、3-エポキシ-2-メチルブタン」(本件試薬)であるのに対し、乙14発明では、化合物「E-B」は下記構造:
【 図 】
の「4-ブロモ-2-メチル-テトラヒドロピラニルオキシ-2-ブテン」である点。
(相違点3)訂正発明では、出発物質と化合物「E-B」とを塩基の存在下で反応させて、下記構造:
【 図 】
を有するエポキシド化合物を得ているのに対して、乙14発明では、出発物質と化合物「E-B」の反応により、下記構造の化合物を生成し、
【 図 】
次いで、香月-シャープレス反応を用いて、下記構造
【 図 】
のエポキシド化合物を製造する点。
(3) 相違点2について
ア 乙14発明の試薬は訂正発明の試薬と異なるから、乙14発明から訂正発明を想到するには、訂正発明の試薬を乙14発明の試薬に代えて使用する動機付けが必要となる。
本件試薬の構造自体は公知であった(乙9)が、乙14発明の試薬に代えて乙9記載の試薬を用いることについては、乙14にも、乙9にも記載されておらず、その示唆もない。
そうすると、当業者において、乙9記載の試薬を乙14発明と組み合わせる動機付けがあるとはいえない。
イ 被告らは、乙14発明の試薬と乙9記載の試薬は構造において類似するから、当業者は乙14発明の試薬に代えて乙9記載の試薬を用いてマキサカルシトールの側鎖を導入することを容易に想到すると主張する。
しかし、乙14発明の試薬は、乙14の反応のために選択されたものであり、試薬が異なれば反応も異なるのであるから、乙14発明の試薬と乙9記載の試薬が構造において類似しているとしても、当業者において、乙14発明の試薬に代えて乙9記載の試薬を用いる動機付けがあるとはいえない。
ウ 訂正発明の発明者の論文である甲13(訳文は乙13)には、「エポキシブロマイド12[判決注:本件試薬]は、その嵩高さや、エポキシ基の機能についてのsp2状の性質を考慮すれば、プレニルブロミド[判決注:4-ブロモ-2-メチル-2-ブテン。乙14の試薬とは異なる。]と立体的にも電子的にも似ているので、我々は、該試薬が2級のアルコール4[判決注:訂正発明の出発物質]に反応し、エポキシ-エーテル13[判決注:訂正発明の目的物質]を製造できることを容易に想到することができた[判決注:原文「We could readily assume」。原告訳「すぐに……仮定することができた〔原告第3準備書面17頁〕]。」との記載がある。
しかし、甲13(乙13)は、本件特許が登録された後の平成16年(2004年)になって、本件発明に至った契機を振り返って記載したものであって、本件優先日時点(平成8年9月3日)における当業者の認識を表すものとはいえず、この論文から、当業者において乙14発明の試薬に代えて乙9記載の試薬を使用することが容易想到であったとはいえない。
エ 乙25は、原告が平成13年に出願した特許の再公表特許(WO02/017932)であり、その中に、「本発明の製剤の有効成分であるOCT[判決注:マキサカルシトール]は公知物質であり、公知の方法で製造できる。例えば……Kubodera他(Bioorqa(ママ)nic & MedicinalChemistry Letters,4(5):753-756、1994)〔判決中:乙14の注13で引用されている甲20の論文〕……などに記載の方法で製造することができる」との記載がある。
被告らは、上記記載から、乙14の知見をマキサカルシトールの側鎖の導入に用い得ることを原告自身が明らかにしていると主張する。
しかし、甲20の知見をマキサカルシトールの側鎖の導入に用い得るとしても、当業者において乙14発明の試薬に代えて乙9記載の試薬を使用することが容易想到であったとはいえないことに変わりはない。
オ したがって、相違点2(試薬の相違)は、当業者において容易想到とはいえない。
(4) 相違点3について
当業者において、乙14発明のエポキシド化合物に代えて、訂正発明の中間体であるエポキシド化合物を得ようとする動機付けは、乙14にも、本件訴訟に提出された他の公知文献にも記載されておらず、その示唆もないから、相違点3(エポキシド化合物の相違)についても、当業者において容易想到とはいえない。
(5) 小括
以上によれば、相違点2、3は容易想到であるとはいえないから、その余の相違点について検討するまでもなく、訂正発明が乙14発明から容易に想到可能であるとはいえない。
したがって、無効理由4(乙14を主引例とする進歩性欠如)は理由がない。
9 争点9(無効理由5:実施可能要件違反)について
(1) 被告らは、訂正明細書の発明の詳細な説明には、出発物質及び目的物質がビタミンD構造の場合について、当業者が実施することができるような記載がない旨主張する。
平成14年法律第24号による改正前の特許法36条4項の趣旨は、明細書の発明の詳細な説明に、当業者がその実施をすることができる程度に発明の構成等が記載されていない場合には、発明が公開されていないことに帰し、発明者に対して特許法の規定する独占的権利を付与する前提を欠くことになるからであると解される。
そして、物を生産する方法の発明における発明の実施とは、その方法の使用をする行為等をいうから(特許法2条3項3号、2号)、物を生産する方法の発明について実施可能要件を充足するためには、明細書にその製造方法についての具体的な記載が必要であるが、そのような記載がなくても、明細書及び図面の記載並びに出願当時の技術常識に基づき、当業者が過度な負担なしに諸因子を設定してその製造方法を使用できるのであれば、実施可能要件を満たすといえる(知財高裁平成24年12月5日判決・判時2176号83頁参照)。
(2) これを本件についてみると、訂正明細書(甲15)には、訂正発明の出発物質、反応物質(試薬)、塩基、還元剤等の構成や入手方法、反応の説明があり、第1段階の反応につき「反応温度は適切に調節することができ、一般的には25℃から溶媒の還流温度、好ましくは40℃から65℃の範囲内である。反応時間は適切に調節することができ、一般的には1時間から30時間、好ましくは2時間から5時間の範囲内である。反応の進行は薄層クロマトグラフィー(TLC)で監視することができる。」(訂正明細書31頁)、第2段階の反応につき「工程(2)の反応は好ましく不活性溶媒中で実施される。使用できる溶媒の例としては、ジエチルエーテル、テトラヒドロフラン(THF)、ジメチルホルムアミド(DMF)、ベンゼンおよびトルエンが挙げられ、ジエチルエーテルおよびテトラヒドロフランが好ましい。工程(2)の反応温度は適切に調節することができ、一般的には10℃から100℃、好ましくは室温から65℃の範囲内である。工程(2)の反応時間は適切に調節することができ、一般的には30分から10時間、好ましくは1時間から5時間の範囲内である。反応の進行は薄層クロマトグラフィー(TLC)で監視することができる。」(訂正明細書41頁)との記載がある。しかし、さらに具体的な反応条件の諸因子を記載した実施例は、構成要件A-6’でいう「Z」がステロイド環構造のものしか記載されていない(訂正明細書49~57頁)。
訂正発明の反応は、出発物質のOH基と本件試薬を反応させてマキサカルシトールの側鎖を得るものであるから、出発物質の「Z」の構造がステロイド環構造であるかビタミンD構造であるかによって反応条件が大きくは異ならないであろうことは、本件優先日当時における当業者の技術常識であったと認められる。例えば、《証拠略》には、20位の炭素原子にホルミル基(CHO)が結合したトランス型のビタミンD構造(N)を有する物質1を出発物質として、工程a、b及びcを経て、22位の酸素原子がアルキル化された、トランス型のビタミンD構造を有する物質Ⅲを得る反応が記載され、《略》には、20位の炭素原子にホルミル基が結合したCD環構造(Y)の物質4を出発物質として、工程a、b及びcを経て、22位の酸素原子がアルキル化されたCD環構造の物質Ⅶを得る反応が記載されているが、この工程a、b及びcは「図式1の1→2→3に対応」と記載されており、出発物質がビタミンD構造であってもCD環構造であっても、同様の工程(乙4の2・6頁左欄の工程a,b及びc)により反応が進行することが記載されている。
そうすると、訂正明細書の「発明の詳細な説明」の上記記載、ステロイド環構造の実施例の記載及び上記技術常識を総合すると、訂正明細書に接した当業者は、「Z」がビタミンD構造の場合でも、ステロイド環構造の実施例の反応条件に沿って実施することで、訂正発明を実施することができると理解するものと認められる。
(3) 現に、原告において、ステロイド環構造の化合物及びシス型のビタミンD構造の化合物を出発物質として、訂正明細書の実施例5、6(ステロイド環構造の化合物を出発物質とするもの)と同様の条件で比較実験を行った結果、同様に反応が進行し、工程数の短縮という訂正発明の作用効果を奏し、かつ、実施例5、6と同様の高い収率が得られた(甲17,18)。このことは、ステロイド環構造の出発物質の実施例の反応条件をビタミンD構造の出発物質にも同様に適用可能であるとの当業者の理解が事実に即したものであることを示している。
(4) 以上によれば、訂正明細書の発明の詳細な説明には、出発物質及び目的物質がビタミンD構造の場合にも当業者が訂正発明の実施をすることができる程度に明確かつ十分な記載があるといえる。
したがって、無効理由5(実施可能要件違反)は理由がない。
10 争点10(無効理由6:サポート要件違反)について
(1) 被告らは、訂正発明には、訂正明細書の発明の詳細な説明に記載されていない構成(出発物質及び目的物質がビタミンD構造のもの)が含まれている旨主張する。
特許請求の範囲の記載が平成14年法律第24号による改正前の特許法36条6項1号に適合するか否かは、明細書の特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し、特許請求の範囲に記載された発明が、発明の詳細な説明に記載された発明で、発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か、また、その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものである(知財高裁平成17年11月11日判決・判時1911号48頁参照)。
(2) 訂正発明が解決した課題は、第1段階の反応、第2段階の反応という2段階の反応を利用することによる、マキサカルシトールを含む訂正発明の目的物質を製造する工程数の短縮である。
そうすると、問題は、訂正明細書に接した当業者が、出発物質がビタミンD構造の場合であっても、ステロイド環構造の場合と同様に2段階の反応が進行し、工程数を短縮することが可能であると認識できるか否かである。
上記9(2)で述べたところからすれば、訂正明細書に接した当業者は、ZがビタミンD構造の場合でも、実施例に示されたステロイド環構造の場合と同様に2段階の反応が進行し、工程数を短縮することが可能であると認識できるというべきである。
(3) 以上によれば、訂正発明は、訂正明細書の発明の詳細な説明に記載されているといえる。
したがって、無効理由6(サポート要件違反)は理由がない。
11 争点11(差止めの必要性)について
(1) 以上検討したところによれば、被告方法は訂正発明の構成と均等なものとして、訂正発明の技術的範囲に属する(したがって、当然に本件発明の技術的範囲にも属する)というべきところ、訂正発明について被告ら主張の無効理由が存在するとはいえないから、本件発明についての訂正が認められる以上、本件発明についての特許が特許無効審判により無効とされるべきものとは認められない。
(2) 前記前提となる事実によれば、被告製品1は被告方法によって製造されたマキサカルシトール原薬であり、被告製品2はいずれも被告方法で製造されたマキサカルシトールの製剤(すなわち、被告方法によって製造されたマキサカルシトールを原薬〔有効成分〕として含有する製剤)であることが認められるから、被告製品1を輸入し又は譲渡する行為は本件特許権の侵害を構成し、また、被告製品2を譲渡し又は譲渡の申出をする行為も本件特許権の侵害を構成する(特許法2条3項3号)。
したがって、原告は、特許法100条の1項に基づき、少なくとも本件特許権の存続期間の延長登録がされる前における存続期間の末日である平成29年9月3日(なお、本件訴訟において、原告が上記各行為について差止めを求めているのは、同日までであるから、上記延長登録に係る期間における本件特許権の効力については、検討を要しない。)まで、被告Y1に対しては被告製品1の輸入及び譲渡の差止めを、被告Y2、被告Y3及び被告Y4に対しては被告製品2(被告Y2については被告製品2(1)、被告Y3については被告製品2(2)、被告Y4については被告製品2(3))の譲渡及び譲渡の申出の差止めを、それぞれ求めることができる。
(3) 上記(2)のとおり、被告製品1は被告方法によって製造されたマキサカルシトール原薬であり、被告製品2はいずれも被告方法で製造されたマキサカルシトールを原薬(有効成分)として含有する製剤であるから、原告は、特許法100条2項に基づき、被告Y1に対しては被告製品1の廃棄を、被告Y2、被告Y3及び被告Y4に対しては被告製品2(被告Y2については被告製品2(1)、被告Y3については被告製品2(2)、被告Y4については被告製品2(3))の廃棄を、それぞれ求めることができる。
12 結論
以上によれば、原告の請求はいずれも理由があるので、これらを認容することとし、主文のとおり判決する(なお、本件の事案にかんがみると、仮執行宣言は相当でないので、これを付さないこととした。)。
(裁判長裁判官 嶋末和秀 裁判官 鈴木千帆 西村康夫)