裁判例>最判平成29年3月24日民集71巻3号359頁

最判平成29年3月24日民集71巻3号359頁

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人新保克芳ほかの上告受理申立て理由(ただし,排除されたものを除く。)について

1 本件は,角化症治療薬の有効成分であるマキサカルシトールを含む化合物の製造方法の特許に係る特許権の共有者である被上告人が,上告人らの輸入販売等に係る医薬品の製造方法は,上記特許に係る特許請求の範囲に記載された構成と均等なものであり,その特許発明の技術的範囲に属すると主張して(最高裁平成6年(オ)第1083号同10年2月24日第三小法廷判決・民集52巻1号113頁参照。以下,この判決を「平成10年判決」という。),上告人らに対し,当該医薬品の輸入販売等の差止め及びその廃棄を求める事案である。これに対し,上告人らは,本件では,平成10年判決にいう,特許権侵害訴訟における相手方が製造等をする製品または用いる方法(以下「対象製品等」という。)が特許発明の特許出願手続において特許請求の範囲から意識的に除外されたものに当たるなどの特段の事情が存するから,上記医薬品の製造方法は,上記特許請求の範囲に記載された構成と均等なものであるとはいえないと主張して,被上告人の請求を争っている。

2 原審の適法に確定した事実関係等の概要は,次のとおりである。

(1) 本件特許

 被上告人は,発明の名称を「ビタミンDおよびステロイド誘導体の合成用中間体およびその製造方法」とする特許権(特許第3310301号。請求項の数は28である。以下,この特許を「本件特許」という。)の共有者である。被上告人は,本件特許につき,1996年(平成8年)9月3日に米国でした特許出願に基づく優先権を主張して,平成9年9月3日に特許出願をした。

(2) 本件発明

 本件特許に係る特許請求の範囲の請求項13(以下「本件特許請求の範囲」といい,これに係る発明を「本件発明」という。)の記載は,別紙のとおりである。被上告人は,本件特許の特許出願時に,本件特許請求の範囲において,目的化合物を製造するための出発物質等としてシス体のビタミンD構造のものを記載していたが,その幾何異性体であるトランス体のビタミンD構造のものは記載していなかった。

(3) 上告人らの製造方法

 ア 上告人Y1は,角化症治療薬であるマキサカルシトール原薬の輸入販売をしており,その余の上告人らは,上記原薬を含有するマキサカルシトール製剤をそれぞれ販売している(以下,上記原薬に係る製造方法を「上告人らの製造方法」という。)。

 イ 上告人らの製造方法を本件特許請求の範囲に記載された構成と比べると,目的化合物を製造するための出発物質等が,本件特許請求の範囲に記載された構成ではシス体のビタミンD構造のものであるのに対し,上告人らの製造方法ではトランス体のビタミンD構造のものである点において相違するが,その余の点については,上告人らの製造方法は,本件特許請求の範囲に記載された構成の各要件を充足する。

 上告人らは,被上告人において,本件特許の特許出願時に,本件特許請求の範囲に記載された構成中の上告人らの製造方法と異なる上記の部分につき,上告人らの製造方法に係る構成を容易に想到することができたと主張している。

(4) 本件明細書の記載等

 本件特許の特許出願の願書に添付した明細書(以下「本件明細書」という。)には,トランス体をシス体に転換する工程の記載など,出発物質等をトランス体のビタミンD構造のものとする発明が開示されているとみることができる記載はなく,本件明細書中に,上記発明の開示はされていなかった。

3 原審は,上記事実関係等の下において,要旨次のとおり判断した上で,本件では,前記1の特段の事情が存するとはいえず,上告人らの製造方法は本件特許請求の範囲に記載された構成と均等なものとして本件発明の技術的範囲に属するとし,被上告人の請求を認容すべきものとした。

(1) 出願人が,特許出願時に,特許請求の範囲外の他の構成を容易に想到することができたにもかかわらず,これを特許請求の範囲に記載しなかった場合であっても,それだけでは,前記1の特段の事情が存するとはいえない。

(2) 上記(1)の場合であっても,出願人が,特許出願時に,特許請求の範囲外の他の構成を,特許請求の範囲に記載された構成中の異なる部分に代替するものとして認識していたものと客観的,外形的にみて認められるときは,前記1の特段の事情が存するといえる。

4 所論は,原審の上記判断は,前記1の特段の事情が認められる範囲を狭く解しすぎている旨をいうものである。

5(1) 特許制度は,発明を公開した者に独占的な権利である特許権を付与することによって,特許権者についてはその発明を保護し,一方で第三者については特許に係る発明の内容を把握させることにより,その発明の利用を図ることを通じて,発明を奨励し,もって産業の発達に寄与することを目的とするものである(特許法1条参照)。そして,特許法70条1項は,特許発明の技術的範囲は,願書に添付した特許請求の範囲の記載に基づいて定めなければならないと規定する。しかるところ,特許権侵害訴訟における相手方において特許請求の範囲に記載された構成の一部をこれと実質的に同一なものとして容易に想到することができる他の技術等に置き換えることによって,特許権者による差止め等の権利行使を容易に免れることができるとすれば,上記のような特許法の目的に反し,衡平の理念にもとる結果となることなどに照らすと,特許請求の範囲に記載された構成中に対象製品等と異なる部分が存する場合であっても,所定の要件を満たすときには,対象製品等は,特許請求の範囲に記載された構成と均等なものとして,特許発明の技術的範囲に属するというべきである。そして,対象製品等が特許発明の特許出願手続において特許請求の範囲から意識的に除外されたものに当たるなどの特段の事情が存するときは,上記のような均等の主張は許されないものと解されるが,その理由は,特許権者の側においていったん特許発明の技術的範囲に属しないことを承認するか,または外形的にそのように解されるような行動をとったものについて,特許権者が後にこれと反する主張をすることは,禁反言の法理に照らし許されないというところにある(平成10年判決参照)。

 しかるに,出願人が,特許出願時に,特許請求の範囲に記載された構成中の対象製品等と異なる部分につき,対象製品等に係る構成を容易に想到することができたにもかかわらず,これを特許請求の範囲に記載しなかったというだけでは,特許出願に係る明細書の開示を受ける第三者に対し,対象製品等が特許請求の範囲から除外されたものであることの信頼を生じさせるものとはいえず,当該出願人において,対象製品等が特許発明の技術的範囲に属しないことを承認したと解されるような行動をとったものとはいい難い。また,上記のように容易に想到することができた構成を特許請求の範囲に記載しなかったというだけで,特許権侵害訴訟において,対象製品等と特許請求の範囲に記載された構成との均等を理由に対象製品等が特許発明の技術的範囲に属する旨の主張をすることが一律に許されなくなるとすると,先願主義の下で早期の特許出願を迫られる出願人において,将来予想されるあらゆる侵害態様を包含するような特許請求の範囲の記載を特許出願時に強いられることと等しくなる一方,明細書の開示を受ける第三者においては,特許請求の範囲に記載された構成と均等なものを上記のような時間的制約を受けずに検討することができるため,特許権者による差止め等の権利行使を容易に免れることができることとなり,相当とはいえない。

 そうすると,出願人が,特許出願時に,特許請求の範囲に記載された構成中の対象製品等と異なる部分につき,対象製品等に係る構成を容易に想到することができたにもかかわらず,これを特許請求の範囲に記載しなかった場合であっても,それだけでは,対象製品等が特許発明の特許出願手続において特許請求の範囲から意識的に除外されたものに当たるなどの特段の事情が存するとはいえないというべきである。

(2) もっとも,上記(1)の場合であっても,出願人が,特許出願時に,その特許に係る特許発明について,特許請求の範囲に記載された構成中の対象製品等と異なる部分につき,特許請求の範囲に記載された構成を対象製品等に係る構成と置き換えることができるものであることを明細書等に記載するなど,客観的,外形的にみて,対象製品等に係る構成が特許請求の範囲に記載された構成を代替すると認識しながらあえて特許請求の範囲に記載しなかった旨を表示していたといえるときには,明細書の開示を受ける第三者も,その表示に基づき,対象製品等が特許請求の範囲から除外されたものとして理解するといえるから,当該出願人において,対象製品等が特許発明の技術的範囲に属しないことを承認したと解されるような行動をとったものということができる。また,以上のようなときに上記特段の事情が存するものとすることは,発明の保護及び利用を図ることにより,発明を奨励し,もって産業の発達に寄与するという特許法の目的にかない,出願人と第三者の利害を適切に調整するものであって,相当なものというべきである。

 したがって,出願人が,特許出願時に,特許請求の範囲に記載された構成中の対象製品等と異なる部分につき,対象製品等に係る構成を容易に想到することができたにもかかわらず,これを特許請求の範囲に記載しなかった場合において,客観的,外形的にみて,対象製品等に係る構成が特許請求の範囲に記載された構成を代替すると認識しながらあえて特許請求の範囲に記載しなかった旨を表示していたといえるときには,対象製品等が特許発明の特許出願手続において特許請求の範囲から意識的に除外されたものに当たるなどの特段の事情が存するというべきである。

 そして,前記事実関係等に照らすと,被上告人が,本件特許の特許出願時に,本件特許請求の範囲に記載された構成中の上告人らの製造方法と異なる部分につき,客観的,外形的にみて,上告人らの製造方法に係る構成が本件特許請求の範囲に記載された構成を代替すると認識しながらあえて本件特許請求の範囲に記載しなかった旨を表示していたという事情があるとはうかがわれない。

6 原審の判断は,これと同旨をいうものとして是認することができる。論旨は採用することができない。

 よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 鬼丸かおる 裁判官 小貫芳信 裁判官 山本庸幸 裁判官 菅野博之)

(別紙)

 下記構造を有する化合物の製造方法であって:

judgment

(式中,nは1であり;

R1およびR2はメチルであり;

WおよびXは各々独立に水素またはメチルであり;

YはOであり;

そしてZは,式:

judgment

のステロイド環構造,または式:

judgment

のビタミンD構造であり,Zの構造の各々は,1以上の保護または未保護の置換基および/または1以上の保護基を所望により有していてもよく,Zの構造の環はいずれも1以上の不飽和結合を所望により有していてもよい)

(a)下記構造:

judgment

(式中,W,X,YおよびZは上記定義の通りである)

を有する化合物を

塩基の存在下で下記構造:

judgment

judgment

(式中,n,R1およびR2は上記定義の通りであり,そしてEは脱離基である)

を有する化合物と反応させて,

下記構造:

judgment

を有するエポキシド化合物を製造すること;

(b)そのエポキシド化合物を還元剤で処理して化合物を製造すること;および

(c)かくして製造された化合物を回収すること;

を含む方法。

上告代理人新保克芳ほかの上告受理申立て理由(ただし,排除されたものを除く。)

第1 原判決はボールスプライン事件での最高裁判決、及び知財高裁平成24年9月26日判決に反している

1 均等論の適用を一般論として認めた御庁平成10年2月24日判決(平成6年(オ)第1083号 ボールスプライン事件 以下御庁判決という。)は、「特許発明の技術的範囲は、願書に添付した特許請求の範囲の記載に基づいて定めなければならない」と規定する特許法第70条第1項に従うのが原則であることを示した上で、例外的に均等侵害を認める場合の5つの要件を説明し、さらに均等を認める根拠として、次のとおり判示している。

「(一)特許出願の際に将来のあらゆる侵害態様を予想して明細書の特許請求の範囲を記載することは極めて困難であり、相手方において特許請求の範囲に記載された構成の一部を特許出願後に明らかとなった物質・技術等に置き換えることによって、特許権者による差止め等の権利行使を容易に免れることができるとすれば、社会一般の発明への意欲を減殺することとなり、発明の保護、奨励を通じて産業の発達に寄与するという特許法の目的に反するばかりでなく、社会正義に反し、衡平の理念にもとる結果となるのであって、(二)このような点を考慮すると、特許発明の実質的価値は第三者が特許請求の範囲に記載された構成からこれと実質的に同一なものとして容易に想到することのできる技術に及び、第三者はこれを予期すべきものと解するのが相当であり、(三)・・・(中略)・・・・(四)また、特許出願手続において出願人が特許請求の範囲から意識的に除外したなど、特許権者の側においていったん特許発明の技術的範囲に属しないことを承認するか、または外形的にそのように解されるような行動をとったものについて、特許権者が後にこれと反する主張をすることは、禁反言の法理に照らし許されないからである。」

 御庁判決は、均等論を認める大前提を説明する上記(一)において、出願人にとって「将来の」あらゆる侵害態様の予測が困難であることと、第三者にとって「特許出願後」に明らかになった物質等との置換が容易であることを想定している。これに対し、出願時に存在していて出願人にとって侵害態様として予測が可能な物質・技術等(以下、出願時同効材という。)については直接判示していない。

2 単に出願時に同効材として存在していたという理由だけで、均等侵害の成立を一律に否定するべきではないとしても、出願人が出願時に出願時同効材の存在を知っているか、その存在を容易に知ることができ、当業者の実情に照らせば特許請求の範囲に当該同効材を含めた記載をすることが容易である場合(例えば、当該出願時同効材の存在が出願日当時の技術常識であり、また、その数も僅かな場合)は、御庁判決が均等論を認める根拠とする「特許出願の際にあらゆる侵害態様を予想して明細書の特許請求の範囲を記載することが極めて困難である」という事情は存在しない。

 一方、出願時同効材を含めた特許請求の範囲の記載が容易であるのに、出願人がそれをしなかった場合には、当該同効材について出願人に権利主張の意思がなく、特許請求の範囲から意識的に除外したと評価されてもやむを得ないものであり、また、そのような評価をした第三者の信頼は法的な保護に値するものである。

 したがって、出願人が特許請求の範囲に容易に記載できた出願時同効材については、特許請求の範囲の記載に基づいて技術的範囲を定めるという特許法第70条第1項の明文の定めを覆して、あえて司法が介入して均等論を適用して出願人を保護すべき理由はない。むしろ、衡平の見地からは介入すべきでなく、均等の第5要件として御庁判決が示した「特段の事情」があるとして、均等の成立を否定すべきである。

 この点は、御庁判決についての最高裁判所判例解説(民事篇平成10年度(上)112頁以下。法曹会発行)でも、156頁7~12行において、

「出願人が当初から特許請求の範囲をその記載内容に限定して出願したと認められる場合も、特許権者は均等を主張することが許されないというべきである。すなわち、当業者であれば、容易に、当初からこれを包含した形の特許請求の範囲により出願することができたはずの事項や、特許出願過程において補正により容易に特許請求の範囲に取り込むことが可能であったはずの事項については、出願人がそのような出願ないし補正をしなかったことが、当該事項を特許発明の技術的範囲から除外したと外形的に解される行動に当たるとして、均等の成立が否定されることになる。」

との意見が述べられているところである。

3 本件特許出願時に、ビタミンD構造にシス体とトランス体という異性体が存在し、かつ、この2種類しか存在しないことは当業者であれば誰もが常識として知っており、ビタミンDに関する基礎的な論文(乙第1号証)でも出発物質としてシス体とトランス体が区別して記載されている。

 出発物質としてビタミンD構造を定義する際に、選択肢はシス体とトランス体の2つのみであり、他の候補はない。いずれかを特定せずに、単に言葉だけで「ビタミンD構造」とするか、あるいはシス体及びトランス体と明記すれば、両方を含むこととなり、片方のみを選択すれば他方に権利が及ばないことは、出願人も第三者も直ちに理解できる。それは「酸性」と書けば「アルカリ性」は含まないのと同じである。

 このように、本件は、特許請求の範囲に記載しきれないぐらいの実施態様があったという事案ではない。また、基礎となる出願から1年後の優先権主張を伴う出願であって、特許請求の範囲をどのように記載すべきか、十分な検討時間があった。したがって、本件は、「あらゆる侵害態様を予測して明細書の特許請求の範囲を記載することは極めて困難」という、御庁判決が示した、均等侵害を認めるべき出願人の事情が存在しない事案である。

 一方、第三者は、2つのうちシス体のみが選択されていれば、トランス体は意識的に選択されていないと理解する。さらに、トランス体を出発物質とする従来技術が引用されている等の本件明細書中の記載も考慮すれば、出願人がトランス体を意識的に除外していると判断する。まさに本件は、御庁判決が示した第5要件の「特段の事情」がある事案である(特段の事情の具体的内容については本書面第3で説明する。)。

4 原判決は、冒頭で御庁判決を踏襲した一般論を述べており、一見すると御庁判決にそのまま従うかのように見える。しかし、原判決の示した具体的な判断基準やその適用を見ると、出願人を保護すべき実質的理由が全くない場合でも均等で救済することとしており、御庁判決とは大きくかけ離れている。

 すなわち、出願人の事情を判断する第5要件に関して、原判決は、

「この点,特許請求の範囲に記載された構成と実質的に同一なものとして,出願時に当業者が容易に想到することのできる特許請求の範囲外の他の構成があり,したがって,出願人も出願時に当該他の構成を容易に想到することができたとしても,そのことのみを理由として,出願人が特許請求の範囲に当該他の構成を記載しなかったことが第5要件における「特段の事情」に当たるものということはできない。」(72頁5~10行)

と判示して、均等侵害を認めている。

 特許権による独占権を得ようとする出願人が、(過誤や何らかの困難があってトランス体を出発物質として記載しなかったのではなく)出願時に特許請求の範囲にシス体とトランス体の両方を記載することが極めて容易であるのに、あえてシス体だけを選択している本件訂正発明について、選択しなかったトランス体に均等論を適用することは、御庁判決が示した均等論認定の基本原理に反している。また、出願時同効材(トランス体)の存在を知りながら、それを敢えて特許請求の範囲から除外した上で、後日に均等法理によって権利範囲を拡張しようとするのは、当該出願時同効材を含む広い技術的範囲に関する特許庁での審査を潜脱するものであり、開示と排他権の付与という特許制度の原理にも反する。

第2 原判決は特許請求の範囲の記載が有する公示機能を喪失させる

1 特許法は、第36条第5項で、「特許請求の範囲には、・・・特許出願人が特許を受けようとする発明を特定するために必要と認める事項のすべてを記載しなければならない」と規定すると共に、その明確性を要求している(同条6項2号)。そして、同法70条第1項は、「特許発明の技術的範囲は、願書に添付した特許請求の範囲の記載に基づいて定めなければならない」と規定し、出願人の選択した特許請求の範囲に特許権の効力が及ぶこととしている。

 これは、無体の発明に排他的権利を形成する特許制度を維持するためには、本来的に不明確な発明の外延を明らかにして、第三者にとっても特許権者にとっても排他権の範囲を明確にすることが不可欠だからであり、この点は、均等論の適用可能性が御庁判決で示された現在においても、何ら変わるとことはない。

2 ところが、出願時に特許請求の範囲に記載することが容易な場合でも「特段の事情」に該当しないという原判決がこのまま維持されると、出願時同効材は侵害時に置換の可能性、容易性があると通常考えられるから、あえて特許請求の範囲に記載しなくても、均等論によって特許による排他権が容易に認められることになる。

 その結果、適正な範囲の特許請求の範囲を作成する意欲は失われ、出願人は、同効材を含む広い発明について特許庁の審査を回避しつつ、均等論による救済を期待して、意図的に同効材を含まない狭い技術的範囲の特許出願を行うことが、事実上、許容・奨励されることになる。実際、本件事件の原審において、相手方自ら、

「特許出願人は、特許法36条の要件を満たす限り、ある技術事項を特許請求の範囲に含めるかどうか、全く自由である。特許請求の範囲を広く取りたいと考える出願人もいれば、狭い特許請求の範囲でよいと考える出願人もいてよいのである。(中略)特許請求の範囲はできるだけ広く記載するものであるという控訴人の発想は、均等論が最高裁で認められる前の、長い間わが国の特許実務を支配してきた考えである。しかし、1998年に最高裁で均等論が認められて20年近くが経過しているのである。均等論が認められる特許実務の下では、適度に狭い明確なクレームを取得する方が、むしろ権利行使に有利である。」

と、特許請求の範囲の狭い特許発明について出願する方が有利であると述べている(原審被控訴人第2準備書面19頁)。

 しかし、特許出願の場面では意図的に狭い範囲で出願しておいて、当該記載を信用した第三者が登場すると均等法理で権利が拡張できるというのでは、出願人が明示した範囲で排他権が生じ、第三者はそれを信じて自由に活動することが出来るという、特許法の基本原則が機能しなくなる。

 このような事態を防止し、特許法第70条1項による公示機能を維持して出願人と第三者との間の利害の適正な調和を図るには、出願人が容易に特許請求の範囲に記載することができた出願時同効材については、均等侵害の成立を否定するより他はない。それによって、出願時に容易に記載可能な同効材を含む特許出願をするように出願人を促すこととなっても、出願人に酷となる事情はなく、それは御庁判決の趣旨にも合致する。

第3 均等の第5要件の適用に関する原判決の判断について

1 原判決は第5要件の「特段の事情」の具体例として以下のとおり判示している。

(1)原判決が言うとおり、明細書に他の構成が開示されながら特許請求の範囲に記載されなかった場合、当該技術事項に関して出願人が権利を放棄していると評価することができ、それを信じた第三者を保護すべきである。しかし、明示的に「他の構成による発明が明細書に記載されている」場合だけでなく、技術常識から見ても「特許請求の範囲外の他の構成を特許請求の範囲から意識的に除外した」と第三者が信頼する場合も同様に評価することができるのであって、原判決は「特段の事情」の成立範囲を非常に狭く解釈し、御庁判決の提示した第5要件の解釈を誤っている。

第5 結論

1 特許制度は、特許発明の技術的範囲が特許請求の範囲の記載に基づいて定められる(特許法70条1項)という公示機能によって、出願人と第三者の利益が合致することを前提に成立している。

 出願時の記載困難という特に出願人を保護すべき事情があれば、その限りにおいて司法によって均等論が適用されて修正が行われる。ところが、原判決は、出願人の事情を全く考慮しない。権利範囲に含めようと思えば容易に出来た状況であるのに、それをしなかった以上、特許請求の範囲の記載を超えて権利が及ばないのは特許制度上当然の結果であり、このような場合であっても均等論を適用して特許権の排他権の拡大を認めることは、衡平の原則に反する。

以上

【添付資料略】