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判例の紡ぎ方

現金研

 ご無沙汰しております。管理人です。

 今日のエントリーは「判例の紡ぎ方」にしようと思います。「読み方」ではないあたりが私の実感に基づくところでしょう。

 先日,現代金融担保研究会(「現金研」,ごつい名前ですが森田修先生のゼミのOBOG総会のことです)に参加し,会の前半で森田修先生のご講演を伺って参りました(検事の方による法整備支援に関するお話もあったのですが,個人的見解であるとのことでしたのであえてそちらは省略)。先生のご講演は,判例評釈に関するもので,判民(東大の民事判例研究会)での議論のあり方が現在に至るまでどのよう医変遷してきたのか(結論と結論までの過程の重視する比率の変遷等),一種の評釈史を扱い,また,先生の評釈に対する姿勢が垣間見えるものでした。テクストを精読し,「こう書いている/書いていないのだから,こう読まれても仕方ない」というのを,研究者という判例を読む側の立場から,評釈という形で発信して実務家に刺激を与えていく姿勢,判決(ないし記録)から事案類型を画定して判例の射程を分析していく姿勢は,判例をどういう意味のものにしていくのか,こういう内容を書いたらどう解釈されるのか,実務家に投げかけるということで,活きた判例の形成に対し研究者が与える影響を感じさせるものでした。

 一方,現金研の翌週には知財部修習に伺い,知財高裁修習も含まれていたので,所長講話がありました。髙部所長が最高裁調査官経験者でもあられるので,こちらでも判例についてお話を伺いました。当事者型と査定型で固有必要的共同訴訟かそうでないかの違いがどういうところに着目して生じてきたのか(「降りかかった火の粉」の話)であるとか,現在の特許法74条が規定されていない状態で冒認出願についてどう考えたかであるとか,従来の考え方をそのまま適用するとどうもすわりが悪い事件について,いかに事案の特性に着目して適切な解決を図っていくか,鋭い問題意識が窺えるお話でした。そして,代理人としても,一見不利な判例がある場合でも事案をうまく区別していくことで,有利な結論を導くことはありうるから,そういう目を持ってほしいというお話がありました。一旦出された判例の射程をいかに画していくか,判決確定後も実務家サイドで,依然として判例の構築は続いているのだと非常に印象に残りました。

 こういうわけで,この夏は,判例を読む側,書く側のお話を伺う機会がありました。最初に判決文を書く裁判官サイドでは,判決文を書くに当たり,個別の事案を十分に吟味し,従前の判例を使うとすわりが悪い場合従前の事案との異同は何か,今扱っているものにどこまで射程を持たせるのか,熟慮を重ねている姿が窺えました。そして,また,研究者サイドも,テクストにこう書かれている・書かれていない以上こういう読み方もできる,その判例はどのような類型に該当するのかという点を熟考して評釈に望んでおり,こちらも判例の意味・射程を形成していくうえで重要な役割を担っていると思われました。こうして,実務家と研究者が緊張関係に立ち,判例を紡ぎあげられていくのだと実感する次第です。

 さて,訴訟は当事者主義構造であるところ,依頼者の利益を前提に当該事件を適切に解決すべく事案類型を定める,従来の判例との関係性を主張ないし説明するという点で,研究者や裁判官とは異なりますが,弁護士も判例形成の根幹を担うように思います(その事件の判決文を書かせるという意味でも,従前の判例の射程を画するという意味でも)。今回お話を伺った大家にはまだ及びませんが,私も将来訴訟を扱いますので,判例形成をめぐる緊張関係の一端を担い,依頼者の利益に資する適切な解決ができればと思います。

東京地裁